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治水の父

 昨日の記事のタイトルを何となくイメージで「香澄」としたのだが、この北利根橋の北側の町は前に川瀬 巴水の版画を紹介した(こちら)ことがある牛堀地区でその少し東が潮来の町である。
その牛堀はその少し前は「香澄村」と言ったという。

やはりこのあたりの風景が香澄の郷なのだろう。

参考:川瀬 巴水の常陸風景(こちら

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北利根橋の南岸から土手に沿って霞ケ浦の方に少し入った。

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その堤防のすぐ左手に「須田誠太郎翁治水功労顕彰碑」が立っていた。

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少し変わった形だが、これは四角と円の形であり、「水は方円の器に随う」という意味を表しているといいます。

水は四角の器であれば四角になり、円形の器であれば円形になるという意味でしょうが、器を作るのは政治家などで水が人民というようなことでしょうか。

為政者はよく考えてよい器を作っていかなければならないのでしょう。

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明治14年に牛堀村に生まれた須田誠太郎。
当時水害がたびたび襲いこのあたりは満足な米が採れるのは3年に1度くらいだったそうだ。

そこでこの常陸利根川と利根川を結ぶ横利根川を整備させ、横利根閘門の設置に大変尽力したのだそうです。
この北利根橋の整備にも功績があった茨城の偉人(治水の父と呼ばれる)だそうです。

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水郷や香澄たなびく霞ケ浦も穏やかな時もあれば風雨で荒れる時もあります。
しかしこうした治水の努力で今では水害もほとんどなくなりました。

一昔前までは土浦や高浜も大きな水害が度々あったのです。
霞ケ浦を一周する堤防もほぼ完成しました。
自転車で走ったら一周できるのではないかとおもうのですが・・・。
陽気がよくなったら一周してみたいですね。

霞ケ浦の自然 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/01/15 20:40
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