繁昌鹿島神社(行方市)
鹿島神宮の隣りである行方(なめがた)市はヤマトタケル伝説などが色濃く残る場所だ。
常陸風土記にもこのあたりの地名について書かれた個所が多い。
そんな中、茨城県にたくさんある鹿島神社が意外に少ないことが気になった。
これは鹿島神宮が近いせいかも知れない。
明日にでも少し地図で検討して見たい。
まずは3か所の鹿島神社を探して行って見ることにした。
昨日紹介した小幡鹿島神社を過ぎて県道183号線(玉造山田線)を北浦の山田方向に進んだ。
途中の高岡地区の北側の山奥の方に北高岡鹿島神社が地図に載っているが、入り込む道が狭くて進むのが心配になり行くのをあきらめた。
続いて北浦から麻生の方に南下した繁昌(はんじょう)地区にかなり由緒のある鹿島神社があると知り、そちらに向かった。

通りから少し細い道を西に入ったところに大きな神社があった。
手前に古木があり、右手に観音堂のような建物があった。

鹿島神社の鳥居は比較的新しく建て替えられたのだろう。

神社庁のホームページにこの神社の説明があった。
【御祭神】 武甕槌命,天照皇大御神、誉田別命、天児屋根命、経津主命
【御神徳】 生活の安寧、平和をもたらす。
武道、競技、政治などの必勝成就の信仰があります。
旅行安全、五穀豊穣、殖産、安産の信仰、事業の創業、新規開拓、開運の神でもあります。
御鎮座地名が繁昌(はんじょう)ゆえに特に商売繁盛の信仰があります。
創立は大同元年勅使左大臣室貞郷関東下向の砌、当地に於いて五神を奉齋し五社明神と称し敬仰した。
慶安元年2月遷宮
明治31年2月28日社殿焼失
明治31年3月14日仮遷宮
明治39年10月26日本社再建
大正2年4月18日拝殿新築
大正元年大宮猿田彦神社を合併

境内にこの猿田彦が祭られている。かなり大きなものだ。 この神社の性格を表しているのだろうか。

本殿。



神社の鳥居の前に建つ「観音堂」

観音堂の隣りに公民館のような建物が立っており「観世音籠堂」と額が架かっている。
鹿島神社の隣りに観世音堂などがある例をあまり知らない。
よくわからないので今は記録に留めておくだけとする。
常陸風土記にもこのあたりの地名について書かれた個所が多い。
そんな中、茨城県にたくさんある鹿島神社が意外に少ないことが気になった。
これは鹿島神宮が近いせいかも知れない。
明日にでも少し地図で検討して見たい。
まずは3か所の鹿島神社を探して行って見ることにした。
昨日紹介した小幡鹿島神社を過ぎて県道183号線(玉造山田線)を北浦の山田方向に進んだ。
途中の高岡地区の北側の山奥の方に北高岡鹿島神社が地図に載っているが、入り込む道が狭くて進むのが心配になり行くのをあきらめた。
続いて北浦から麻生の方に南下した繁昌(はんじょう)地区にかなり由緒のある鹿島神社があると知り、そちらに向かった。

通りから少し細い道を西に入ったところに大きな神社があった。
手前に古木があり、右手に観音堂のような建物があった。

鹿島神社の鳥居は比較的新しく建て替えられたのだろう。

神社庁のホームページにこの神社の説明があった。
【御祭神】 武甕槌命,天照皇大御神、誉田別命、天児屋根命、経津主命
【御神徳】 生活の安寧、平和をもたらす。
武道、競技、政治などの必勝成就の信仰があります。
旅行安全、五穀豊穣、殖産、安産の信仰、事業の創業、新規開拓、開運の神でもあります。
御鎮座地名が繁昌(はんじょう)ゆえに特に商売繁盛の信仰があります。
創立は大同元年勅使左大臣室貞郷関東下向の砌、当地に於いて五神を奉齋し五社明神と称し敬仰した。
慶安元年2月遷宮
明治31年2月28日社殿焼失
明治31年3月14日仮遷宮
明治39年10月26日本社再建
大正2年4月18日拝殿新築
大正元年大宮猿田彦神社を合併

境内にこの猿田彦が祭られている。かなり大きなものだ。 この神社の性格を表しているのだろうか。

本殿。



神社の鳥居の前に建つ「観音堂」

観音堂の隣りに公民館のような建物が立っており「観世音籠堂」と額が架かっている。
鹿島神社の隣りに観世音堂などがある例をあまり知らない。
よくわからないので今は記録に留めておくだけとする。
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