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成田線の駅名

 今日は土曜日で昼間からパソコンの前に扇風機を回して座っている。暑いがクーラはなくてもどうにかなると思うので、できるだけクーラはつけない。シャワーを浴びて扇風機でいるのも夏の風情と感じている。
もう大分前になるが、成田空港まで我孫子駅で乗り換えて成田線で行ったことがある。大きな荷物の客はほとんどおらず、地元の学生などが多かった。単線であるので途中でしばらく反対側の電車を待ち合わせるなどノンビリとした風景であった。その後成田空港までは土浦駅からつくばセンターを経由してバスがでており、時間もこちらの方が早く楽となったので、成田線も2度ほど乗っただけであった。しかし、我孫子から成田までの駅名が非常に気になった。
 我孫子-湖北-新木-布佐-木下(キオロシ)-小林-安食(アジキ)-下総松崎(シモウサマンザキ)
私の名字の頭文字がKであり、友人もKのつく人が多くいる。「木下」、「小林」ときたから次は自分の名前が来るかもしれないなどと思いながら乗っていた。そうしたらアジキ(安食)であった。かすみがうら市(旧出島)に安食と書いて「アンジキ」と読む地名があり、この地名も気になった。次が「シモウサマンザキ」の地名である。シモウサもそうであるが「マンザキ」と読むのはどこからきているのだろうと気になった。どれも調べていけば昔の歴史につながる面白い話が出てきそうなのだが、心の片隅にしまって大分時間が経ってしまった。今は時間も少し取れるようになったので、すこしずつ調べていけたらな~と思う次第です。
石岡は古道東海道の終点の都市です。東京湾を舟で渡って上総の国(市原)から下総国(市川)を経て(我孫子)に至ります。この先は昔は印旛沼-手賀沼-利根川の一部は霞ケ浦と一体となって大きな内海(香取の海)となっていたのです。今成田線の走っているところは手賀沼と利根川の間の高台を通っており、木下で手賀沼から流れる川は利根川に合流しています。きっと江戸時代の初めに利根川が東遷工事がおこなわれ水運として利根川が大いに活躍した頃の歴史とその前の歴史が共に混在して残っているように思われます。「布佐」はこの利根川水運の川港町として栄え、魚も大量に採れた「網代場」もあったといいます。木下(キオロシ)は材木を水運に下ろしたところから名前がついたようです。またこの辺りが下総国であるので、今の鉄道を中心にしての地図の見方も変えていかないと理解が進まないようです。鎌倉道なる間道も通っていたといわれますので、時代時代で便利な道ができれば昔の道が廃れてきて、いつのまにかわからなくなっていく・・・・。もう少し想い出としてでも残していければそこに生活していた人々の姿がボンヤリとでも見えてきそうに思っています。

地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/08/28 11:45
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