大宮神社(玉造)
先日、出かけた時の途中で、玉造の街中の少し北に位置する「大宮神社」に行ってきました。
行方(なめがた)市の鹿島神社を調べていて気になった場所でした。
今まであまり気に留めていなかったこの町ですが、風土記の時代から中世、江戸時代、明治維新などで表情が変わるようです。
毎年5月に行なわれる「玉造のおまつり」はこの大宮神社の祭礼で石岡と同じような山車とお囃子の祭りだという。
規模は少し違うようだが神社神輿を御仮屋に神輿を移動させ、山車やお囃子なども同じような系列です。
ただ、こちらはどうも天狗の猿田彦が中心においているようだ。
石岡のまつりにも行列の先頭を猿田彦の天狗が先導するが、それ程中心的な役割はしていない。
また霞ケ浦へのお浜下りも行なわれていて、最後には流鏑馬も行なわれるそうです。
石岡の昔のまつりにも高浜へのお浜下りはあったようですが、今の年番制度が始まってからの行事にはありません。

この「大宮神社」という名前の神社は各地にありますが、それぞれその町の中心となる「大きなお宮」というような意味のようです。
先日紹介した鹿島神社・香取神社などが載っている茨城県の神社庁のリストには載っていません。
何故なのでしょうか。
調べて見てもほとんど載っていない。載っているのはおまつりばかり・・・。
玉造は鎌倉時代以降は行方四頭の四男が玉造氏となり浮き沈みはあったが戦国末期に佐竹氏に三十三館の主が集められて殺された中の1人である。
祭りはこの玉造城の初代城主が始めたとも言われているという説明があったが、どうもこれはあてにならないだろう。

入口の鳥居から両側に木々が生い茂る中を拝殿に向かう。

しばらく進むと二の鳥居の手前に石灯篭が並ぶ。

あまり書かれているものが少ないのですが、祭神は武甕槌神(鹿島神宮の神)のようです。
ということは行方市の鹿島神社の一つと考えても良いのでしょうか。
繁昌にある鹿島神社に置かれていた猿田彦神は「大正元年に大宮猿田彦神社を合併」と書かれていました。
何か繋がりがあるのかもしれません。

拝殿屋根は唐破風です。

こちらは本殿です。
まわりを板で覆っていますのであまり見ることができません。

のぞきこんで1枚写真を撮らせてもらいました。


この神社にも室町時代終わり頃の「鰐口」が残されています。
玉造氏が勢力を保っていた時代のものでしょう。

境内社である「淡島神社」


神社のスギはこの神社の御神木。
もう少し調べてみなければこの町もわからない。
行方(なめがた)市の鹿島神社を調べていて気になった場所でした。
今まであまり気に留めていなかったこの町ですが、風土記の時代から中世、江戸時代、明治維新などで表情が変わるようです。
毎年5月に行なわれる「玉造のおまつり」はこの大宮神社の祭礼で石岡と同じような山車とお囃子の祭りだという。
規模は少し違うようだが神社神輿を御仮屋に神輿を移動させ、山車やお囃子なども同じような系列です。
ただ、こちらはどうも天狗の猿田彦が中心においているようだ。
石岡のまつりにも行列の先頭を猿田彦の天狗が先導するが、それ程中心的な役割はしていない。
また霞ケ浦へのお浜下りも行なわれていて、最後には流鏑馬も行なわれるそうです。
石岡の昔のまつりにも高浜へのお浜下りはあったようですが、今の年番制度が始まってからの行事にはありません。

この「大宮神社」という名前の神社は各地にありますが、それぞれその町の中心となる「大きなお宮」というような意味のようです。
先日紹介した鹿島神社・香取神社などが載っている茨城県の神社庁のリストには載っていません。
何故なのでしょうか。
調べて見てもほとんど載っていない。載っているのはおまつりばかり・・・。
玉造は鎌倉時代以降は行方四頭の四男が玉造氏となり浮き沈みはあったが戦国末期に佐竹氏に三十三館の主が集められて殺された中の1人である。
祭りはこの玉造城の初代城主が始めたとも言われているという説明があったが、どうもこれはあてにならないだろう。

入口の鳥居から両側に木々が生い茂る中を拝殿に向かう。

しばらく進むと二の鳥居の手前に石灯篭が並ぶ。

あまり書かれているものが少ないのですが、祭神は武甕槌神(鹿島神宮の神)のようです。
ということは行方市の鹿島神社の一つと考えても良いのでしょうか。
繁昌にある鹿島神社に置かれていた猿田彦神は「大正元年に大宮猿田彦神社を合併」と書かれていました。
何か繋がりがあるのかもしれません。

拝殿屋根は唐破風です。

こちらは本殿です。
まわりを板で覆っていますのであまり見ることができません。

のぞきこんで1枚写真を撮らせてもらいました。


この神社にも室町時代終わり頃の「鰐口」が残されています。
玉造氏が勢力を保っていた時代のものでしょう。

境内社である「淡島神社」


神社のスギはこの神社の御神木。
もう少し調べてみなければこの町もわからない。
地元に住んでいながらわからないことばかりで、大変参考になりました。ありがとうございます。
今回の大宮神社は、元旦のお参り、5月4・5日のお祭りで
馴染みが深い神聖な場所です。
旧玉造11の地区が4年(3年の時もあります)に一度役が回ってきます。神輿・大鉾・天狗(猿田彦)で私も今年大鉾です。
1地区60~90人で総勢神輿・大鉾・天狗で200人以上が街を練り歩きます。幣束を帽子、鉢巻に差し、裃に見立てた白い布をまといます。
5日に神社に戻る時は、神輿・大鉾・天狗が順番で出る時と逆の順番になります。そして今は馬からではないですが、流鏑馬を行って終わりになります。
地元の方に教えていただきたいこともたくさんあります。
今回の祭りも教えていただき感謝です。
しかし他所から来て感じたり知ったりすることも記事に書かせていただき
参考になるのでしたらうれしいことです。
これからも色々お教えください。
また間違ったことなどもありそうですので指摘して下さいね。