天狗党忠魂碑
昨日紹介した玉造大宮神社境内に大きな「忠魂碑」という石碑が置かれていた。
神社の敷地の一部にあるが入口もわかれている。

気になって調べて見ると駿河で死を遂げた天狗党員の名前が刻まれているそうです。
天狗党員は官軍に追われ、将軍徳川慶喜に会って何とか自分たちの立場と想いを訴えようと、決死の覚悟で京都に向かいました。
しかし、京都を目前とした越前駿河で拘束され、皆無念の死を迎えたのです。
ここにも天狗党の悲惨な過去があったのです。
ああ、やはりこの話は悲惨すぎます。そしてまだその関係者も多くいるようです。
ここ玉造は江戸時代は水戸藩とのつながりが強い。
穀倉地帯でもあり、また水運の要所でもあった。
大山守であった「大塲家」もこのすぐ近くだ。

大山守であった大塲家住宅。平日は公開されていないようです。

街中にはこのような鹿島鉄道の鉄橋が残されていました。

もう少し調べてみなければこの町もわからない。
神社の敷地の一部にあるが入口もわかれている。

気になって調べて見ると駿河で死を遂げた天狗党員の名前が刻まれているそうです。
天狗党員は官軍に追われ、将軍徳川慶喜に会って何とか自分たちの立場と想いを訴えようと、決死の覚悟で京都に向かいました。
しかし、京都を目前とした越前駿河で拘束され、皆無念の死を迎えたのです。
ここにも天狗党の悲惨な過去があったのです。
ああ、やはりこの話は悲惨すぎます。そしてまだその関係者も多くいるようです。
ここ玉造は江戸時代は水戸藩とのつながりが強い。
穀倉地帯でもあり、また水運の要所でもあった。
大山守であった「大塲家」もこのすぐ近くだ。

大山守であった大塲家住宅。平日は公開されていないようです。

街中にはこのような鹿島鉄道の鉄橋が残されていました。

もう少し調べてみなければこの町もわからない。
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