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太田道灌軍扇

 今年の雛巡りの開催日の土日に合わせて石岡の常陸国総社宮で社宝の「軍扇」が公開展示されました。

茨城県の文化財に指定されています。

中に入らせていただいて写真を撮ってきました。

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<漆皮軍配 太田持資入道道潅>(総社宮のHPより記事を転載しています)

遠州浜松城主太田備中守資宗金梨地 筥(はこ)を作り蓋の裏面に由来を記録して奉納。
室町時代(15世紀中頃)の作と推定される。
 総長48.9cm、最大幅19.1cm、柄幅2.6cmの鞣革製黒漆の軍配、表には朱漆で種子を大書している。
寛文8年(1668)、太田資宗、資次寄進銘のある箱に収められており、保存状態も良い。小型の軍配と長い柄の形式は、古型を示し、室町時代の工芸として、価値の高い文化財である。(茨城県教育委員会)

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<漆皮軍配 佐竹義宣 天正年間奉納>

安土桃山時代の作と推定される。総長45.1cm、最大幅18.0cm、柄幅2.2cmの鞣革製金漆の軍配、表には種子を中心に十二支を表し、裏は朱漆し、佐竹氏の家紋の日輪を大書する。漆の剥落もなく、保存度も良好である。道灌奉納の軍配の制を踏襲したもので、安土桃山時代の工芸として価値の高い文化財である。(茨城県教育委員会)


日輪と上の説明にはあるし、どう見ても日の丸であるが、正式には「月丸」だと思う。

日の丸を正式に名乗ることは当時はできなかったであろう。佐竹氏の家紋は月丸扇である。

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軍扇 入野左衛門尉平就景

天文十八年奉納

左衛門尉(さえもんのじょう)は六位相当の官職であるそうだが、鎌倉以降は武士たちに好んで使用されたらしい。
この入野入野左衛門尉平就景がどのような人物かはよくわからない。

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さて、この太田道灌の軍扇であるが、奉納したのは江戸時代初期に家康に仕えた譜代大名の「太田資宗(すけむね)で、彼は太田道灌の曾孫と言われている(確証はない)太田重正の子供である。
もう一人の太田資次は資宗の次男である。

ただ太田資宗の正妻は京都所司代を務めた板倉重宗の娘で、こちらは徳川家光などにも近い関係であったと思われる。
水戸の徳川家などとも近かったのかもしれない。

これらの軍扇はここ総社宮の社宝であるので一度見ておきたかったのであるが今まで見る機会が無かった。
今回見れて良かった。
思ったよりもかなり保存状態が良いように思う。

これを持って太田道灌がここを訪れたということは言えそうにない。

石岡の片野には佐竹氏の客将で、小田天庵を破った太田(三楽斎)資正(道灌の曾孫)がいたが、こちらはあまり知られていないのは残念だ。

同時に総社宮では内部で大正時代と昭和30年代頃の雛人形が飾られています。
大正時代の物はやはり見ていて楽しいです。
少し紹介します。

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最後は石岡と言えば獅子頭。

白いお獅子は迫力満点です。


石岡市内 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2015/02/22 09:11
コメント
凄いものを見せて頂きました
ありがとうございます。
こんばんは、Romanさん。
太田道灌、佐竹義宜、2人の英雄の存在を
今に伝えてくれますね。
太田道灌については、今日、偶然伊勢原に行って
お墓や首塚に行ってきたところでしたから、
感動も大きかったです。そもそも戦国時代に子孫がいたことを知らなかったです。
軍配、書かれている図も面白そうですね。
佐竹氏は、こちらの常陸の国の強き武将として
戦国、徳川時代通してたくましく生きた方ですね。
改めてありがとうございます、またお邪魔します。
kozoh55さん
今晩は。

> 太田道灌、佐竹義宜、2人の英雄の存在を今に伝えてくれますね。

まあこの神社も生き残ってきていますのでそれなりに深いものがあります。
せっかくの公開でしたが私が行った時にはただ一人でした。
もったいないことですね。
石岡に来て初めてみたんですよ。

佐竹はこの町にとってはあまり良い武将ではなかったのかもしれませんが、
やはり常陸国を統一して秋田でも繁栄しましたのですばらしい家系なのでしょうね。
(源氏の正当で、甲斐武田氏ともつながっています)

訪問・コメントありがとうございました。

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