筑波古道 - つくば道 -
筑波神社への参拝の古道として江戸時代はこの道がメインであったという。
つくばエキスプレスの開通で筑波山も急に注目が集まるようになり、今では土日を問わずかなりの観光客が集まっている。
その中でこの徳川家光によって筑波山参詣の道として解放された「つくば道」がある。

北条の辻に大きな追分石が置かれていた。「ここよりつくば道」である。

道は「北条」から「神部」を通り「白井」を抜けて神社に真っ直ぐに向かっている。

「右(東)つちうら、きよたき、加し満(鹿島)」。「にし(西)おふそね(大曽根)いちのや(一ノ矢)江戸」裏を見ると、この追分は正徳五年(1715)五月十七日に建てられ寛政十年(1798)に再建されたものとなっています。

途中にある 真言宗「普門寺」。この寺は鎌倉時代末に建てられ、つくばで大勢力を持った小田氏の祈願寺として栄えたという。山門の佇まいも筑波山の景色にマッチして美しい。

そのまま進むと、住宅街の向こうに大きな筑波山と中腹の筑波山神社の大きな赤い鳥居が良く見える。

白井地区に「一の鳥居」が立つ。ここから先はは神社の神域になる。
この鳥居は宝暦九年(1759年)に造立され、昔は、嵯峨大覚寺門跡寛深法親王御筆「天地開闇 筑波神社」の額がかかっていたという。
ここからは急坂で車はすれ違うことのできないような道である。迷惑でもあるので、私はここで右に曲がって、筑波温泉ホテルのところへ出た。
筑波の神社周辺の江戸屋などでも十年ほど前に温泉を千メートル以上掘って掘りあて、数件で共同で使っているが、この筑波温泉ホテルはそのずっと前に同じように千メートル以上掘って当時は唯一の温泉ホテルであった。昔、神社横の江戸屋(もっとも古い老舗)さんにも温泉が掘られる前に泊まったが、この筑波温泉ホテルにも泊まったことがある。やはり本物の温泉はいいですね。
最近は日帰り温泉ばかり。温泉はタオル付きで1000円だったかな? しばらく行っていないが・・・。
つくばエキスプレスの開通で筑波山も急に注目が集まるようになり、今では土日を問わずかなりの観光客が集まっている。
その中でこの徳川家光によって筑波山参詣の道として解放された「つくば道」がある。

北条の辻に大きな追分石が置かれていた。「ここよりつくば道」である。

道は「北条」から「神部」を通り「白井」を抜けて神社に真っ直ぐに向かっている。

「右(東)つちうら、きよたき、加し満(鹿島)」。「にし(西)おふそね(大曽根)いちのや(一ノ矢)江戸」裏を見ると、この追分は正徳五年(1715)五月十七日に建てられ寛政十年(1798)に再建されたものとなっています。

途中にある 真言宗「普門寺」。この寺は鎌倉時代末に建てられ、つくばで大勢力を持った小田氏の祈願寺として栄えたという。山門の佇まいも筑波山の景色にマッチして美しい。

そのまま進むと、住宅街の向こうに大きな筑波山と中腹の筑波山神社の大きな赤い鳥居が良く見える。

白井地区に「一の鳥居」が立つ。ここから先はは神社の神域になる。
この鳥居は宝暦九年(1759年)に造立され、昔は、嵯峨大覚寺門跡寛深法親王御筆「天地開闇 筑波神社」の額がかかっていたという。
ここからは急坂で車はすれ違うことのできないような道である。迷惑でもあるので、私はここで右に曲がって、筑波温泉ホテルのところへ出た。
筑波の神社周辺の江戸屋などでも十年ほど前に温泉を千メートル以上掘って掘りあて、数件で共同で使っているが、この筑波温泉ホテルはそのずっと前に同じように千メートル以上掘って当時は唯一の温泉ホテルであった。昔、神社横の江戸屋(もっとも古い老舗)さんにも温泉が掘られる前に泊まったが、この筑波温泉ホテルにも泊まったことがある。やはり本物の温泉はいいですね。
最近は日帰り温泉ばかり。温泉はタオル付きで1000円だったかな? しばらく行っていないが・・・。
コメント