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木内大神と木内集落(2)

 昨日書いた木ノ内区民センターからさらに100m程進んだところに「木内大神(きのうちだいじん)」があった。

辺りは神社の古さを思わせる樹木がうっそうとしている。

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通りの横に通りの方向と平行に入口鳥居が置かれている(東向き)。

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そして、参道を少し進むと参道は右にカーブして正面に拝殿が見える。

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正面が神社拝殿(南向き)で、左手に舞台がある。

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創建は多くの古い神社が創建されたと伝わっている大同年間(806~810年)とされる。
主祭神は穀物の女神である豊受姫命(伊勢神宮外宮の神)。

ウィキペディアによれば「大納言四条隆房がこの地を領地とした時に保護し、鎌倉時代には東胤頼の二男木内胤朝が領し社殿を造営、神領を納め一族の祈願所とした。千葉氏や北条氏の崇敬が厚く伏見天皇の直筆書が献ぜられている。」と書かれている。

よくわからないので更にウィキペディアで調べて見る。

・大納言四条隆房:藤原隆房(ふじわらのたかふさ):平安時代末期から鎌倉時代初期(1148~1209)にかけての公卿。
平清盛の娘を正室とし、加賀国・因幡国の国司などを歴任したそうなので、この上総介などにもついたのか?
建永元年(1206年)に出家し引退。法名は寂恵。

・東 胤頼(とう たねより):平安時代末期から鎌倉時代初期(1155~1228年)の武将。千葉氏の一族。千葉常胤の六男。東氏、遠藤氏の祖。胤頼は六男であり従五位の別称大夫を付し、東六郎大夫と称した。
・・・源頼朝が三浦半島での敗北で安房に逃れた時に頼朝勢に加勢して関東での頼朝の勢力拡大に一役買っているようだが晩年は出家して法然の弟子となり、法阿弥陀仏(法阿)と称したそうだ。

これ以上は調べるのも時間がかかりそうなのでこの辺でギブアップ。

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この舞台では香取市無形文化財に指定されている十二座神楽が3月3日に奉納される。

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上の説明に寄れば、江戸時代後期から神社関係者で神楽は奉納されてきたようだ。
そして明治初期には青年たちも一緒に6日間祭事の前は共に寝起きし、神楽を奉納したという。

これらは多くの神社で似たようなことが昔は行なわれていた。

石岡には染谷、柿岡、根小屋にも同じような十二座神楽が残されている。

もう少し明日に続きます。

小見川・東庄 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/03/01 15:28
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