西音寺(3)
西音寺は小見川(香取市)と笹川(東庄町)のほぼ中間にある。
明治7年にここで小学校が開校されました。
これが須賀山小学校となり、今の笹川小学校や小見川東小学校にわかれたという。

入り口横にある石塔。
文化14年(1817年)徳本上人念仏塔(「南無阿弥陀仏」6字名号碑)
1817年は上人が61歳で亡くなる1年前。
独特の南無阿弥陀仏の字の下には下に徳本と田という字を丸くした花押も彫られている。
徳本(とくほん)上人は紀伊国日高郡(日高町志賀)の出身で27歳で出家し、昼夜を問わず荒修業を続け、各地を回り念仏修業を行なった。
特に江戸近郊の農村部では念仏講が組織され熱狂的な信者がたくさんいたという。
この念仏塔は全国にあり和歌山県に約170、信濃地方に200、武蔵国にも約50 程あるといいます。
確かにこの字体は何度か見かけたことがあります。その時は気がつかなかったようです。

左の三猿の彫られた庚申塔は延宝2年(1674)のものとかなり古い。
そのとなりは廿日待塔や十九夜塔など江戸の前期から後期にかけてのものが残されている。

こちらは子安像が三体。 向かって右の像は明治初期の物です。

その他、青面金剛(庚申塔)や板碑などじっくりと調べて見たいものが多くあります。

西音寺から国道356号(利根水郷ライン)に戻るところの信号脇にあった「観音堂」
すぐ近くに小見川東小学校がある。
明治7年にここで小学校が開校されました。
これが須賀山小学校となり、今の笹川小学校や小見川東小学校にわかれたという。

入り口横にある石塔。
文化14年(1817年)徳本上人念仏塔(「南無阿弥陀仏」6字名号碑)
1817年は上人が61歳で亡くなる1年前。
独特の南無阿弥陀仏の字の下には下に徳本と田という字を丸くした花押も彫られている。
徳本(とくほん)上人は紀伊国日高郡(日高町志賀)の出身で27歳で出家し、昼夜を問わず荒修業を続け、各地を回り念仏修業を行なった。
特に江戸近郊の農村部では念仏講が組織され熱狂的な信者がたくさんいたという。
この念仏塔は全国にあり和歌山県に約170、信濃地方に200、武蔵国にも約50 程あるといいます。
確かにこの字体は何度か見かけたことがあります。その時は気がつかなかったようです。

左の三猿の彫られた庚申塔は延宝2年(1674)のものとかなり古い。
そのとなりは廿日待塔や十九夜塔など江戸の前期から後期にかけてのものが残されている。

こちらは子安像が三体。 向かって右の像は明治初期の物です。

その他、青面金剛(庚申塔)や板碑などじっくりと調べて見たいものが多くあります。

西音寺から国道356号(利根水郷ライン)に戻るところの信号脇にあった「観音堂」
すぐ近くに小見川東小学校がある。
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