小見川散歩(2)-須賀神社

 今日は1日中雨でした。冬場としては今年は雨が多いです。
いつもの年にくらべ雨が多いので花粉も大分少なくなっているようです。

 さて、小見川の街中の神社として由緒のありそうな場所を探した。

前に木内大神を訪れた時に木内神楽が有名なことを知ったが、もう一つこの須賀神社の祇園祭が盛んであることが書かれていた。

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祇園祭は7月に行なわれるようだが、やはりこの神社の祭神はスサノオだそうだ。

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スサノオを祀る神社は八坂神社が有名だが、江戸時代まで牛頭天王を祀る天王社が明治以降に皆スサノオを祭神とした八坂神社やこの須賀神社という名前の神社に変わって行った。

するとこの神社はやはり牛頭天王の天王社なのか?

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上の写真の大鳥居の裏側には「天保二辛卯六月吉日」「六町氏子中」と彫られています。

天保2年は1831年。
隣りの笹川の「天保水滸伝」の大利根河原での決闘は天保15年(1844年)だ。

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入口の狛犬はなかなか迫力がある。

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この神社に建てられた看板はもう文字が薄くなっていて良く読めません。
なんとか読んだ内容を書きだしてみました。

「粟飯原氏の創建になる神社で祭神は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)である。寛永17年(1640)以降大規模な修繕が加えられ、現在の社殿は大正3年に改築したものである。また境内にある水天宮の建立は元禄年間である。
春の祭礼としては毎年4月3日に木内神社の氏子によって奉納される神楽があり、夏の祭礼は町内最大規模のもので毎年7月21日~24日まで六町(川端・仲町・小路・本町・南下宿・北下宿)の氏子によってとりおこなわれる祇園祭がある。
 祇園祭は「須賀神社由緒沿革」によれば寛永17年に、内田正信公が米穀金銭を寄進して祭礼費を援助したことにはじまると伝えられている。(おみがわふるさと小路設置事業)」

となっている。これもやっと読めるだけなので少し違うところもあるかもしれない。

粟飯原(あいはら)氏はWikipediaによれば千葉氏の一族で「平安時代末期に平常長の四男・粟飯原常基(つねもと)がこの苗字を称し、この小見川に館を構えたのが始まりとされる」と書かれています。
また内田正信は徳川家光の家臣で鹿島郡なども含めて1万石で小見川藩主となり、後に5000石加増されて下野国鹿沼藩主となった。
しかし家光の死により、これに伴って39歳で殉死したと書かれています。どんな人物だったのでしょうか。

3月3日に先日書いた木内大神で神楽が奉納され、1ヶ月後の4月3日のこの須賀神社でも同じ神楽が奉納される。
そして全国各地の八坂神社などと同様に夏の祇園祭が行なわれる。

しかしどこにも牛頭天王の天王社とは書かれていない。
でもどうも昔は天王社であったように感じる。
どこも同じだが祭りの始まりについてはどこまでたどれるのか・・・・
途中できっと廃れた時もありそうに思う。

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こちらが大正時代に改築したという神社拝殿。

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拝殿に続く本殿だが、手前には子供の遊び場(ブランコ、すべり台)があった。

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境内にある「水天宮」

上の説明にあったように建立は元禄年間(1688~1704年)だという。

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やはりこの頃の建物は見ごたえがある。

小見川の街中にはこの須賀神社のほかに八坂神社と金刀比羅神社があり、全てスサノオが祀られています。

調べて見ると香取市でまとめている「香取を旅する」(こちら)によると

「お神輿三基は、須賀神社・八坂神社・金刀比羅神社から出ます。八坂神社は京都八坂神社から、金刀比羅神社は四国讃岐から勧請しました。須賀神社の祇園祭は尾張の国津島神社の流れをくむのか、京都八坂神社の流れをくむのか??・・・。」と書かれています。

私と同じ疑問を持っていることがわかります。

津島神社の牛頭天王社がやはり元なのではないかと思います。

小見川・東庄 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/03/09 21:49
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