銚子への道すがら(1)
ここ石岡から何度も銚子へ往復する間にあちらこちらを見て歩いた。
もう大概の物は見物したのでもうあまり見る物は無くなったなどとも思ったが、少し脇にはいるだけでまた違った世界も見えてくる。
小見川の町を探索したのもそうだし、東庄町で笹川繁蔵親分や平手造酒(ひらてみき)などの面影も探した。
そして飯岡助五郎を追いかけて、飯岡にも足をのばし町や今回の津波被害の様子も見聞きした。
それぞれの土地にその土地にしみついたような思いがあり、そのほんの一部でもそこに近づけたように感じることができた。
きっとそこに行かなければ書物を読んだだけではきっと感じなかったような思いがわいてくる。
石岡は常陸国の国府があった場所であり、古くからの歴史も確かに眠っている。
しかし他の場所にはそこにしかない別な歴史がある。
そのお互いの歴史を知って、そこに生きた人々の思いをくみ取って初めてその土地が少し理解できたような気がする。
最近、石岡を訪れる人が少し増えてきたといわれている。
これはNHKの番組などで取り上げられたことが大きいのだが、訪れた方がまた来て見たいと思える場所でなければどうしようもない。
今の石岡を見ていて大いに不安を覚える。
日本は島国であり言葉もとても繊細で、真似ることのできない文化があるが、はたして自分たちの土地の魅力をどこまで理解できているのだろうか。
また訪れる人にどこまで知ってもらう努力をしているのだろうか?
これからも、自分も含め反省しながら見聞を広めていきたいものだ。
先週銚子に行った時に1時間程余分に時間を割いて寄り道した所を数回に分けて紹介します。
そのほとんどは以前にも訪れている場所ばかりです。
初めて行くところは少ないのです。
まず今日は最初に小美玉市栗又四ケ(くりまたしか)にある石の仁王様からです。
ここも3回くらい紹介したように思います。
行くたびに壊れてはいないか心配になります。

こうしてまた会えるとうれしくなります。
霞ケ浦水運が発達していた時に江戸の方から高浜の手前の高崎(旧玉里村=田余村)に運ばれてきたという重さ一つ3トンの石像。


関連記事は下記。
1、霞ケ浦水運(9)-高瀬船で運ばれた仁王像(2011.7.8)
2、またあの石の仁王像に会いたくて(2014.4.24)
3、石の仁王様に会いに(2014.11.25)
明日は朝早くから成田空港に出かけます。
オーストリのウィーンに行っていた二女夫妻が3月で任務を終えて帰ってくるのですが、一足早く娘だけが戻ってきます。
5月に出産を控えていることもあり少しでも早めに帰ることになったものです。
1週間ほど家にいることになるのでどうなりますか・・・ ブログを書く時間はとれるかどうか・・・
少し書きためておかねばなりませんね。
これから数日分の記事の元を書いておきたいと思います。
もう大概の物は見物したのでもうあまり見る物は無くなったなどとも思ったが、少し脇にはいるだけでまた違った世界も見えてくる。
小見川の町を探索したのもそうだし、東庄町で笹川繁蔵親分や平手造酒(ひらてみき)などの面影も探した。
そして飯岡助五郎を追いかけて、飯岡にも足をのばし町や今回の津波被害の様子も見聞きした。
それぞれの土地にその土地にしみついたような思いがあり、そのほんの一部でもそこに近づけたように感じることができた。
きっとそこに行かなければ書物を読んだだけではきっと感じなかったような思いがわいてくる。
石岡は常陸国の国府があった場所であり、古くからの歴史も確かに眠っている。
しかし他の場所にはそこにしかない別な歴史がある。
そのお互いの歴史を知って、そこに生きた人々の思いをくみ取って初めてその土地が少し理解できたような気がする。
最近、石岡を訪れる人が少し増えてきたといわれている。
これはNHKの番組などで取り上げられたことが大きいのだが、訪れた方がまた来て見たいと思える場所でなければどうしようもない。
今の石岡を見ていて大いに不安を覚える。
日本は島国であり言葉もとても繊細で、真似ることのできない文化があるが、はたして自分たちの土地の魅力をどこまで理解できているのだろうか。
また訪れる人にどこまで知ってもらう努力をしているのだろうか?
これからも、自分も含め反省しながら見聞を広めていきたいものだ。
先週銚子に行った時に1時間程余分に時間を割いて寄り道した所を数回に分けて紹介します。
そのほとんどは以前にも訪れている場所ばかりです。
初めて行くところは少ないのです。
まず今日は最初に小美玉市栗又四ケ(くりまたしか)にある石の仁王様からです。
ここも3回くらい紹介したように思います。
行くたびに壊れてはいないか心配になります。

こうしてまた会えるとうれしくなります。
霞ケ浦水運が発達していた時に江戸の方から高浜の手前の高崎(旧玉里村=田余村)に運ばれてきたという重さ一つ3トンの石像。


関連記事は下記。
1、霞ケ浦水運(9)-高瀬船で運ばれた仁王像(2011.7.8)
2、またあの石の仁王像に会いたくて(2014.4.24)
3、石の仁王様に会いに(2014.11.25)
明日は朝早くから成田空港に出かけます。
オーストリのウィーンに行っていた二女夫妻が3月で任務を終えて帰ってくるのですが、一足早く娘だけが戻ってきます。
5月に出産を控えていることもあり少しでも早めに帰ることになったものです。
1週間ほど家にいることになるのでどうなりますか・・・ ブログを書く時間はとれるかどうか・・・
少し書きためておかねばなりませんね。
これから数日分の記事の元を書いておきたいと思います。
それにしても毎日記事を書くのはたいへんですね。記事を書き続けると、頭と手はしっかりしますよね。
いつもありがとうございます。
今回の記事はどうかこうかと考えながら少し趣向を変えて書きだしました。
もう記事も1800回を超えるとマンネリになりますし、同じところを紹介するだけでは伝わる物が限られますので。
> 銚子行、3つの記事を読みましたが、現代の風土記ですね。昔のことも記事に織り込み、現代も語る。自転車でも、あっという間に通り過ぎるところが多いです。
そうなんですよ。ただ通り過ぎるだけでも、そこを少し知るともう少し深く知りたくなったりします。
風景も違って見えたりしますね。
自転車でも同じだと思います。
> それにしても毎日記事を書くのはたいへんですね。記事を書き続けると、頭と手はしっかりしますよね。
これもまあ老化予防ですね。
これからますます暇になりそうなので、退屈しのぎにもなりそうです。
時代は少し変わってきているようで、景気もどうなるかわからなくなってきました。
これからどう過ごしていくのかも少し思案中です。