庚申塔いろいろ
銚子松岸にある海上八幡宮の境内に青面金剛庚申塔がまとめて置かれている場所がありました。
これだけまとまると迫力があります。
このブログを初めてしばらく慕った頃に神社の境内で初めてこの三猿の庚申塔を見つけ、最初は何か分からずにいました。
それからあちこちで時々見かけるようになりました。
こちらの銚子の方でもこれは良く見かけます。

青面金剛と邪鬼と三猿。

この三猿は見ざる、言わざる、聞かざるですが、それぞれ表情も異なり面白いものです。

庚申(こうしん:かのえさる)信仰はかなり昔からあったようですが、江戸時代になって60日に1回まわってくる庚申の日に男たちが集まって酒を飲みながら夜を明かし、色々な地域の相談事などを行なっていたのでしょう。
そして3年18回の庚申の日が無事に迎えられると、こうして庚申塔を建立したようです。

一般には部落の道外れなどに道祖神のように置かれていて、近年になり道路整備などで近くの神社に移してこのようにたくさんまとまったのでしょうか。

60年周期でまわってくる庚申の年は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされ、政治的変革がおこりやすいといわれているようです。
前回は1980年(昭和55年)、次回は2040年だそうですが、昭和55年に何かありましたか?

体内に住む三尸(さんし)の虫が人の悪い行いを庚申の日に寝ている人の体から抜け出して天帝に知らせに行く。
これを阻止するために寝ずに見張っている。
コンニャクを食べると三尸(上尸・中尸・下尸)をやっつけられるなどとも言われるともいうようです。

青面金剛(しょうめんこんごう)は夜叉の神で、3つの目と6本の腕をもち、頭頂には髑髏(ドクロ)をいただき、手には三鈷杵(さんこしょ)、弓矢、宝剣、三股叉、法輪、鬼の首などを持ち、三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)と、2羽のニワトリを従えている場合が多いようです。

こうしていくつかの庚申塔を見て見るのも楽しいのではないでしょうか。

これだけまとまると迫力があります。
このブログを初めてしばらく慕った頃に神社の境内で初めてこの三猿の庚申塔を見つけ、最初は何か分からずにいました。
それからあちこちで時々見かけるようになりました。
こちらの銚子の方でもこれは良く見かけます。

青面金剛と邪鬼と三猿。

この三猿は見ざる、言わざる、聞かざるですが、それぞれ表情も異なり面白いものです。

庚申(こうしん:かのえさる)信仰はかなり昔からあったようですが、江戸時代になって60日に1回まわってくる庚申の日に男たちが集まって酒を飲みながら夜を明かし、色々な地域の相談事などを行なっていたのでしょう。
そして3年18回の庚申の日が無事に迎えられると、こうして庚申塔を建立したようです。

一般には部落の道外れなどに道祖神のように置かれていて、近年になり道路整備などで近くの神社に移してこのようにたくさんまとまったのでしょうか。

60年周期でまわってくる庚申の年は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされ、政治的変革がおこりやすいといわれているようです。
前回は1980年(昭和55年)、次回は2040年だそうですが、昭和55年に何かありましたか?

体内に住む三尸(さんし)の虫が人の悪い行いを庚申の日に寝ている人の体から抜け出して天帝に知らせに行く。
これを阻止するために寝ずに見張っている。
コンニャクを食べると三尸(上尸・中尸・下尸)をやっつけられるなどとも言われるともいうようです。

青面金剛(しょうめんこんごう)は夜叉の神で、3つの目と6本の腕をもち、頭頂には髑髏(ドクロ)をいただき、手には三鈷杵(さんこしょ)、弓矢、宝剣、三股叉、法輪、鬼の首などを持ち、三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)と、2羽のニワトリを従えている場合が多いようです。

こうしていくつかの庚申塔を見て見るのも楽しいのではないでしょうか。

彫りのしっかりした、状態の比較的良い庚申塔が多い様ですが、数体割れているものが何れも青面金剛像の首の所で切れているところに作為を感じますね。あるいはこれも廃仏毀釈の折の破壊の跡かも知れません。
> 数体割れているものが何れも青面金剛像の首の所で切れているところに作為を感じますね。あるいはこれも廃仏毀釈の折の破壊の跡かも知れません。
これら民間信仰の物は比較的影響を受けずに残されていると思っていました。
でもきっと寺に置かれていたものなのでしょうね。仏像が皆壊されたのは悲しいですね。
首を後から継いだものがたくさんありますからね。
地蔵さんなどは首のところに布を巻いて隠しているのも見かけます。
色んな庚申塔があるのですね~
名前だけは知っていましたが、由来は全く知りませんでした…
Romanさんの丁寧な説明で興味津々です☆
庚申塔を粗末に扱わずに大切に残してもらいたいと思いました
興味深い記事を、ありがとうございました (^^♪
町中の道に置かれていた庚申塚が
道路整備などによってこの地に移設されたそうです。
三猿と、踏みつぶされた怪物
おもしろいほど一つ一つ違った風に描かれてました
Romanさんの紹介された庚申塚も一緒ですねえ。
歩けば歩くほど街は私達にいろんな姿を見せてくれます、ありがたいです。
おばんです、またお邪魔します。
> 名前だけは知っていましたが、由来は全く知りませんでした…
私も昔は庚申塚などに「庚申」と彫られた石が置かれているのや
神社に「青面金剛」などと書かれた石塔などを見かけてはいましたが
これとこの三猿の像とはあまり結びついて理解していなかったのです。
いつの間にか各地に習慣のようにひろまっていったのでしょう。
三尺(さんし)が見ざる・聞かざる・言わざるの三猿に姿を変えて描かれているのでしょうか?
何かおもしろそうだと思いませんか?そちらでも見つけたら教えてください。
コメントありがとうございました。
>
> 興味深い記事を、ありがとうございました (^^♪
平塚にもありますか。
私も最初は「庚申」と彫られた石碑などが畑の中や山の中の
こんもりした塚の上に置かれていたりしたのを見かけてはいました。
でもこの三猿の姿を見た時に同じ庚申の行事だとは思わなかったものです。
これだけあると結構一般の人々に受け入れられていたのでしょうね。
今では電気もあるし車で移動もできる。
こうした風習は戦後生まれにはわからなくなってしまっているようです。
kozohさんの街歩きもまだまだ色々な姿を見せてくれるのでしょうね。
楽しみにしています。コメントうれしいです。