銚子への道すがら(7)-長者山
先日銚子に行った時に立ち寄った場所を紹介してきましたが、もう一か所あります。
松岸には昔遊郭があり遊女がいたとか温泉があったなどということが今ではほとんど想像がつきません。
もう一つこの松岸に近い場所に長者山という場所があります。
ここには現在「長者山仁王尊阿弥陀院」という寺があります。

境内に「長者屋敷跡」の石碑が経っています。
ここに1000年以上前に海上郡一の長者が住んでいたといいます。
そしてこの屋敷に来ていた安倍晴明とこの長者の娘との結婚話が持ち上がり、逃げ出した晴明を追いかけ海に飛び込んだ娘の歯と櫛が流れ着いたのが、先日吉田松陰の碑が置かれていた川口神社(昔は歯櫛神社→白紙神社)だそうです。
(伝説)
(前に書きました。 → こちら)






寺の境内に「胖庵先生遺徳碑」という石碑が建てられています。
調べてみると石毛胖庵という人がこの長者山阿弥陀院に明治7年に「長者学舎」という学校を開きました。
これが今の銚子市立海上(うなかみ)小学校となったのです。
今の学校はこのすぐ隣にあります。
松岸には昔遊郭があり遊女がいたとか温泉があったなどということが今ではほとんど想像がつきません。
もう一つこの松岸に近い場所に長者山という場所があります。
ここには現在「長者山仁王尊阿弥陀院」という寺があります。

境内に「長者屋敷跡」の石碑が経っています。
ここに1000年以上前に海上郡一の長者が住んでいたといいます。
そしてこの屋敷に来ていた安倍晴明とこの長者の娘との結婚話が持ち上がり、逃げ出した晴明を追いかけ海に飛び込んだ娘の歯と櫛が流れ着いたのが、先日吉田松陰の碑が置かれていた川口神社(昔は歯櫛神社→白紙神社)だそうです。
(伝説)
(前に書きました。 → こちら)






寺の境内に「胖庵先生遺徳碑」という石碑が建てられています。
調べてみると石毛胖庵という人がこの長者山阿弥陀院に明治7年に「長者学舎」という学校を開きました。
これが今の銚子市立海上(うなかみ)小学校となったのです。
今の学校はこのすぐ隣にあります。
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