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小田城跡

今日は一日湿った雪が降ったりやんだり。このまま夜になっても降っているので明日はどれくらい積もっているか? 積雪よりも道路が凍って車は無理かもしれない。
年に何日も雪が積もることはないのでまったく無防備だ。

さて、今日の話は、先日筑波山に行った時に近くの小田城跡に行ってみたので紹介しましょう。
有名ではあるが、本丸跡は広大な広さがそのまま残り、その真中をサイクリング道路が横切っていた。
その大きさは圧巻であった。現在大きな整備工事が進められていた。

歴史的なものとして、大変重要な場所であるが、昨年作成された立派なパンフレットがそこに置かれていたので、表紙のところだけを紹介します。
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    国指定史跡 「小田城跡」   平成22年2月 つくば市教育委員会
小田城跡は、中世とよばれる鎌倉から戦国時代に、常陸国(現在の茨城県の大部分)南部に勢力をもった小田氏の居城跡です。小田城跡は、その歴史的重要性及び依存度の特徴から昭和10年6月7日に約21.5haが国の史跡指定を受けました。
 つくば市では、まちづくりの一環として小田城跡を保存整備する事業を地元とともに進めています。平成8年度から史跡南半分(市街化調整区域)の土地の公有化に着手し、翌9年度から史跡の内容を確認する部分的な調査(確認調査)を、同16年度から整備対象とした本丸跡とその周辺の曲輪跡で面的な本発掘調査を行いました。それらの成果を基に、同21年度から整備工事を行い、中世の小田城を体感できる歴史ひろばとして整備する計画です。
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本丸跡に立てられた説明看板

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城跡の真中をサイクリングロードが真っ直ぐにのびている。最近までは城の掘の跡を通るように迂回していたが、発掘調査が終わり道路も真っ直ぐに整備された。

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小田城跡として昔から立てられていた石碑。ここは本丸の一角にあたる「涼台」といわれる場所で樹齢800年を超える大欅があったと昭和43年の案内石碑に書かれていた。

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城跡から筑波山を望む。周りの原の部分は発掘調査後埋め戻したものです。

この小田氏は歴史的に見ても国府(石岡)にとっても大変重要な関係にあります。小田氏の祖、八田知家が鎌倉幕府(源頼朝)により常陸国の守護職に任じられ、勢力を拡大し、曾我兄弟の仇討事件につけ込んで讒言をめぐらして、常陸(多気)大掾を陥れてしまいます。
しかしその後、狙っていた常陸大掾職は馬場(吉田)氏へ渡り、府中城も築かれ府中(石岡)の町も戦国時代末まで繁栄したのです。

もし、この時八田家(小田氏)に渡っていたらどうなっていたのでしょうか?

 

筑波・土浦・牛久地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/02/11 19:33
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