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マダラ鬼神祭(2)

 昨日の雨引観音のマダラ鬼神祭の続きです。

このマダラ鬼神祭の由来などは後から説明することとして、祭りとしてどのようなことをやっているかを見て見ましょう。

入口の薬医門から続く石段を鬼たちは登り、仁王門をくぐって急な石段をかけのぼって本殿に入ります。

この雨引観音は真中の多宝塔と本殿の間に入口があります。

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祭りは多宝塔の前の境内空地に竹で組んだ竹矢来(たけやらい)で祭りが行なわれます。
後から行くとすでに人の山。

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写真を撮るために前に割り込む人や用意した脚立を建てる人などいろいろです。
あまり出しゃばれないので人の後ろから邪魔な頭を避けて何とか撮りました。

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開始の案内の後に祝詞が読み上げられ、僧侶が日本刀をかかげて修抜(しゅうばつ)=お祓いが行なわれました。

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そののちに由緒などを含めた祝詞が読み上げられたようですがよく聞きとれませんでした。

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正面の多宝塔の回廊にはこの日稚児行列に参加した子供たちと太鼓のたたく子供たちが並んでいます。

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その後、たいまつを手に持ったマダラ鬼神と白装束の6人の鬼神(白、赤、緑・・・)が鬼踊りを披露します。

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その中を僧侶が真中に積まれた焚き木に火をつけます。

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火が勢いよく燃えてくると、鬼たちが手にした松明に点火して威勢の良い踊りを披露します。

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一通り鬼踊りが終わると鬼たちが引き上げ、松明が消され、そののちに焚火の消火が行なわれます。
消火と整理に時間がかかるのでこの後は早めに下山することにしました。

この祭りはこの後鬼たちが背にしていた49本の破魔矢を天に向けて放ち、これを観客が取りあいます。
また餅がまかれます。
この破魔矢や餅を手に入れると御利益があるそうです。

さて、地元ではこの祭りを日本で二つしかない鬼の祭りだと言っていました。
もう一つは京都太秦にある広隆寺(半跏思惟像の弥勒菩薩が有名)で行なわれる祭りです。
時間が無いので明日にもう少しまとめて見たい。

今日はここ雨引山の祭りの起源とされる話だけを記載する。

時は室町時代、文明3年(1471)に上杉氏憲 (禅秀) が鎌倉方(足利勢)に対しておこした反乱に起因する。

上杉方の武将長尾景信により足利方の古河城が奪われる。
千葉まで逃れた足利勢が千葉氏などの仲間をひきつれて古河城を奪還、城を追われた長尾勢はこの雨引山に逃げ込んだ。

そして雨引山を囲んだ足利勢が麓から火を放ち、この楽法寺(雨引観音)は炎上してしまう。

本尊の薬師如来は自ら古木の陰に隠れて難を逃れたが、寺の堂宇は焼失してしまった。

しかし、その後どこからともなく、夜毎覆面をした職人が現れ、それを指揮した白馬に乗った鬼面をかぶった神がいた。
寺の本堂はわずか7日で再興され、この指揮をとっていたのがマダラ神であったという話が広まった。

この伝説が元になりこの祭りが始まったと伝えられる。

このマダラ神=摩多羅神というのはとても興味深いのだが、調べだすと奥がどんどん深くなる。
そして良くわからなくなる。
これをもう少し調べてみたい。

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マダラ鬼神祭 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/04/13 21:31
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