潮来と延方(4)-延方村役場跡

水戸藩潮来の延方にできた郷校は芹沢鴨も通い、宮本茶村や津宮(つのみや)の久保木清淵(くぼきせいえん)もここで教えていたという。蔵書の数もその当時では驚異的な2000冊近くを誇った。

その郷校も明治5年に延方小学校の分教場となったが明治10年に廃校となった。
しかし昔の面影を探してもあまりにも何もないようだ。
その原因が天狗党騒動にあるというのをあまりにも理解できていない。

このような藩の建物や塾などは天狗党が集まっていた。しかし政府軍によりそれらが焼き討ちされて無くなってしまったということに私は思いをいたすことができない。

まず、何かあるかもしれないと延方小学校も少し見ておきたくなり探してみた。
学校はもっと延方駅に近い場所にあった。

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この学校が延方郷校を継承するものとして小学校になり、この現在地に移されたということのようだ。
現地にはそれを示すものは何もなかった。

小学校のホームページをのぞいてみた。

学校の沿革に書かれていた内容を転載します。
<沿 革>
文化の初めの頃   本校の前身の延方郷校,江戸より加賀藩士沢田平格氏をまねていて 内田山のふもとに塾を開く。
文化 4年 9月  水戸藩南領の郡宰小宮山楓軒,土地の父老と教育奨励のため,内田山に孔子の聖廟を建立した。
文化 7年 6月  水戸哀公の許しを得て,郷党より資金を集め藩の補助金と合わせて,豪壮な孔子 覇を建て,周りに教場群を配し,聖堂学校の体制をととのえる。
文化14年 3月  郷校聖廟内に,哀公筆聖碑が安置された。内容的にもっとも充実し,蔵書数は実に,354部1,960冊に達した。
明治 5年  学制発布により,郷校は廃止された。郷校は分教場の一つになり,郷校講師沢田平格氏はそのまま教師の辞令を拝命した。
明治10年10月1日 本校が現在の国道51号沿い,潮来市新宮南に設置された。明治19年までは郷校の先生,沢田平格氏の設けた干し飯倉を改築して教室にしていた。

と書かれている。

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手前の国道に平行に走っている旧道を東に進むと、延方相撲で有名な「鹿嶋吉田神社」の一の鳥居があるが、そこを少し東に行くと旧延方村役場跡の碑が目には行った。

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現在はここは延方公民館となっていました。
延方(のぶかた)村の名前は江戸時代から続いており、昭和30年に潮来町と合併した。

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敷地内には大きなクスノキ(潮来市指定天然記念物)。樹齢は約200年くらいという。

潮来 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/04/27 18:56
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