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潮来と延方(7)-鹿嶋吉田神社2

 今日も暑くなりました。
4月は今日で終わりですが、気温はそれほどでもなかったと思いますが日差しがもう夏日のようでした。 
これから先が思いやられます。

潮来市延方(のぶかた)新宮にある「鹿嶋吉田神社」の紹介の続きの記事です。

この延方の鹿嶋吉田神社というのは、YAHOOの地図を見てもこれだけの大きな神社だが表記されていません。

下記地図はYAHOO地図にこの神社を書きこんだもの。

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国道51号線のすぐ北側を走る旧道?沿いに一の鳥居があります。
そこから桜並木が続き「鹿島線」の線路が高架で上をまたぎます。

神社の場所は潮来二中の校庭に隣接しています。

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社殿はまだ新しく、最近建て直したばかりのようです。

すぐ正面前にあるのは延方相撲が奉納される土俵です。

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まだ真新しい社殿です。
この社殿は昨年6月に新築完成を祝って御神体の遷座の儀と社殿の竣工奉祝祭が行われました。

前の社殿はこの神社がこの場所に建てられた元禄年間の物だったのでしょうか。
見ていないのでわかりません。

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さて、この神社は鹿島神宮の祭神である武甕槌命(たけみかずちのみこと)と. 水戸吉田神社の祭神である日本武尊(やまとたける のみこと)である。

名前の通り鹿嶋と吉田である。
鹿島神宮は常陸国一宮であり、吉田神社は常陸国三宮である。

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しかしこの神社の歴史を見て見ると少し不思議な気がする。

下にもう一つ周辺の地図に地名などを書き込んだが、延方村の前には少し北側に「古高村」があり、南東側には「洲崎村」という2つの村があったようです。
この地が水戸藩の南領となって水戸光圀(黄門)がこの地の神社などの整理統合行なったようです。

そして元禄9年(1696)に古高村の産土(うぶすな)様として祀られていた鹿嶋明神と洲崎村の産土神であった諏訪明神を合祀してこの神社を建てたようです。新宮の地名もこの意味でしょうか。

しかし諏訪神社はいつの間にか吉田神社となり祭神も日本武尊になったようです。

やはり出雲系の諏訪神社と鹿島神社が一緒になるのはあまり見たことが無い。
まあそんなこともあって水戸の吉田神社の祭神に置き換わったのでしょう。

しかし地元ではこの神社は今でも「すわ様」と呼ばれているようです。

nobukata.jpg

上の地図に外浪逆浦と北浦に挟まれたデルタ地帯(徳島)あたりの領有権を巡ってこの延方村と下幡木村側とが長い間争いを続けていたようです。
そして江戸幕府から「水戸南領に属す」との裁定が下り、延方側の勝利となりました。
この決定を喜んだ延方の人々が、寛文13年(1673年)に、この神社に相撲を奉納したのが(県の無形文化財に指定されている)延方相撲の始まりだそうです。

この神社の祭事として古式にのっとり毎年7月末の日曜日に「二番勝負」「一番勝負」「新手二人がかり」「小三番」「大三番」などの取り組み全48番が行なわれています。
そして地元の子どもたちによる「花相撲」が行なわれ、親に肩車されて行列でやってきた小さな子供の相撲は微笑ましいです。

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神社の隣りにあるのは潮来第二中学校。

潮来 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2015/04/30 18:45
コメント
おかしいのです。
私が住む古高村の国上神社は祭神オオナムチ、スクナビコ、出雲神です。
鹿島社が別にあったとしても、諏訪と合碑するのは時代的にナンセンスです。
布津奈の村人さま
コメントどうもありがとうございます。
最近担って少し真面目に常陸国風土記なども読むようになりましたが、このあたりも興味深い土地柄ですね。
風土記では「布都奈の村」という地名の由来がまことしやかに出ていますが、これらは凡て別に当て付けたものと理解しています。
神社なども、産土神か、大和朝廷由来の神話の神、このあたりでは鹿島神、香取神で諏訪や出雲神は巣国ですね。
しかし下総国(利根川沿岸)には香取市あたりまでなぜか諏訪神社が多いです。
時代的にナンセンスかどうかは私にはよく判りません。
まあ、何時の時代かに何か有名な神様を祭っていれば偉いなどといって祀ったのかもしれないですが・・・
それにしても風土記でいう「大生郡」は延方(現在の北部)から古高、築地など古代に謎が多いですね。
何か書物に残されたりしている資料・伝説などがありましたらお教えいただけると助かります。


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