潮来と延方(10)-素鷲熊野神社1

 潮来には佐原と同様に江戸と水運でつながり、それによりもたらされたと思われる山車や囃子による祭りがある。
潮来祇園祭(8月初めの金土日の3日間)に14台の山車がでる。

また潮来節の発祥の地でもある。

潮来の祇園祭はこの素鷲熊野神社(そがくまのじんじゃ)の祭りで天王祭(津島神社の系統)だ。

この神社は素鷲神社と熊野神社が一体となっているが、祀られているのは別々のようだ。

素鷲神社の祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)。
熊野神社の祭神は伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉册命(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)である。
いずれも日本神話の神様。

素鷲神社はこの神社の場所が天王山と呼ばれているので、これは元は天王社(牛頭天王)であろう。
牛頭天王は院殿神様であるが江戸時代は各地にたくさんあり、愛知県の津島神社が総本山であるが、元々は神社ではなく寺院とされていた。

神仏分離により仏教的なものが排除されて神社となり、全国の多くの天王社が素鷲神社や八坂神社に名前を変えた。
石岡の中町にも中心に天王社があったが八坂神社となり常陸国総社宮に合祀された。

この全国の天王社はもともと祇園祭が行なわれていて、八坂神社の祭りと同じであったことも名称変更に抵抗が無かったようだ。
そして祭神もほとんどのところがスサノオとクシイナダヒメに変わった。

スサノオは朝鮮半島から対馬を経由して出雲国にやってきた。今の津島神社はこのスサノオの荒魂が出雲にあり和魂が紀元前245年にいったん対馬に鎮まった後に西暦540年に愛知県の津島にやってきたとされている。
このあたりはどう解釈したらよいかわからないが面白い。

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この潮来素鷲熊野神社の現地に書かれた由緒によると、
「素鷲神社は天安2年(857~858)潮来町地先浪逆浦より出現。
 始め辻村天王原に奉祀す。 
その後文治4年(1185)6月に至り潮来天王川岸地内に祠を営み遷し祀り板久牛頭天王と称し4丁目以西の鎮守となす。
元禄5年水戸義公封ない巡視の折町内に在りては火災の憂いあると以て、今の地に遷すべしとの命により別当職佐竹祐宜新たに宮を造営元禄9年(1696)遷宮す。

熊野神社は天正年中(1573~1586)村人紀州熊野三社を信仰同行の者其の霊験を尊び御分霊を迎え来りて5丁目地内に宮を建て奉斎熊野三社大権現と称し5丁目以東の鎮守として尊崇祭祀せり。
元禄5年水戸義公の命により今の地に遷すこととなり、新たに宮を建てて元禄9年素鷲神社と同時に遷宮す。
両者共に天保15年(1843)水戸藩内一律に神仏分離の令により牛頭天王を素鷲神社と改称。 
熊野三社大権現を熊野神社と改称。 
明治10年(1877)に至り素鷲熊野神社と合名し明治12年4月郷社に昇格せり。」

とかかれています。長々と書かれていますが注釈を加えずにそのまま載せました。

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入口鳥居のすぐ脇にとても大きな欅の木が聳えています。
「茨城県指定文化財 天然記念物 潮来大欅」とかかれています。

樹齢は不明となっていますが推定で500年以上とか800年以上とか書かれている物もありました。
かなり見事な巨木である。

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山の上にある神社の登り口まで鳥居が4つ?
途中に古びた石灯篭に狛犬が置かれています。

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口を閉じた吽型。

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口を開けた阿型。表情が面白いですね。

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こちらは階段を少し上ったところにある鳥居のところに置かれている威嚇したような狛犬です。

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階段を登ったところにある神社は明日紹介します。

潮来 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/05/05 20:37
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