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石岡の路地(4)

 石岡市街のあまり人の通らない細い道を紹介しています。
今日は若松から総社宮の方への道です。

柿岡街道などがありますが、若松町は市内でも最も大きな町です。

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ここに木造十一面観音立像を保存している堂があります。
あまり人の通りは無い狭い道ですがここには室町時代から続く「長法寺」という大きな寺があったそうです。
若松町は昔はこの寺の名前を取って「長法寺町」と呼ばれていたが、江戸時代の宝永年間(1704-1711)に縁起の良い名前に変えることになって若松町改名されたという。

しかしこの長法寺と言う寺はその後もあったので一般にはまだ長法寺町と言う名前は使われていたようで、石岡の祭りでも初期の頃(明治後半から昭和初期)には年番制度の町の名前としても「長法寺町」という名称となっていた。

しかしこの寺も明治3年の長法寺大火という火事で堂宇は全て焼けてしまい、この十一面観音像だけが残され、今でもこの場所に保存されています。
お堂の横には「馬頭観音」の大きな石碑があり馬車組合というむかしの名前が書かれています。

さて何故路地ということで見てみると、江戸時代には石岡は各方面から色々な荷物が集まってきていました。
笠間方面から来ると国分寺近くや今の泉町辺りで市場が開かれており、柿岡方面からはこの長法寺周りで市場が開かれていたのではないかと思われています。

馬の背の米俵を乗せて歩いたり荷馬車で来ることを考えるともう少し周りは広い通りだったのかもしれません。
しかし今の車社会で見たよりはずっと狭い道が続いたりしていたのではないかと思います。

昔の通りのイメージを懐くにはこんな通りを通って見るのも良いのでは・・・・。

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昔の柿岡街道がこちら側を通っていたのだろう。いまは若宮八幡宮の手前からほぼ90度曲るようになって、車を運転する人は最初はきっと戸惑うと思う。

柿岡街道はこの先、鹿の子辺りから柿岡方面沿いに松並木が続いていたと聞いている。

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今来た道を振り返るとこんな感じ。
出てきたのは上の写真の右側の細い道。この道を真っ直ぐ行くと図書館前の通りを突き抜けて十一面観音(旧長法寺跡)の前に出る。

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石岡に来た人でもどこだかわからないでしょうが、このまま進むと国府跡に建った小学校の方に行きます。
上の写真は今来た道を振り返ったところ。
信号を左に曲がると若宮八幡宮、右に曲がると石岡駅の方(香丸通り)に行きます。

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これから行く側を見たところです。
正面に小学校があり市民会館や昔の中世の城跡の土塁などがあります。
その手前の右手が青屋神社、左手が市の室内プールです。このプールの場所が昔の市役所があったところとか・・・・。

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車などだとこのまま真っ直ぐに行くのですが歩きですからここからプーる手前を左に曲がります。
右手がプール、左手が山新家具さんの倉庫?

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お寺が現れます。
この道は府中松平家の菩提寺である照光寺と東耀寺とを結ぶ歩道です。

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まずは天台宗の東耀寺から。
立派な門があり、その奥の正面に「天台宗別格本山」の石柱が立っています。
でも大分前ですが来た時には無かったような気もします。

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このお寺には新撰組の鈴木三樹三郎の墓があります。

石岡の路地 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/05/12 20:49
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