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石岡の路地(5)

 今朝は緊急地震速報の警報だ鳴って、久しぶりに緊張しました。
ネパールの地震も大変なことになっていますが、東日本大震災からまだ4年が過ぎただけです。
過去の例では10年後の大震災につながったりしていますのでまだまだ終息などしていないのでしょう。

さて昨日はまた銚子に行っていました。
やはり往復すると結構つかれますね。
片道2~2時間半くらいはかかります。

今日の記事はまた昨日の記事の続きです。

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東耀寺と隣りの照光寺とは細い道でつながっています。
東耀寺から門の前の道を横に行くと照光寺の墓地の間の道に入ります。

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この照光寺は松平家の菩提寺です。
府中松平は播磨守になっていましたので小石川後楽園近くの播磨坂付近に屋敷を構えていました。
このため文京区と姉妹都市を結んでいます。

松平播磨守は小石川に上屋敷を持ち、江戸定府でありこの石岡の地にはほとんど来たことがないと思われます。
今ではこの播磨坂は昭和35年(1960)に植えた桜の木が立派に育って桜祭りが盛大に行われるようになりました。

最後の播磨守は松平頼策(よりふみ)で明治2年(1869年)の版籍奉還で知藩事となったが、藩が廃止された明治4年には無役となり、明治17年に子爵となった。

この頼策の長男が後を継ぐが、この松平頼孝(よりなり)は無類の鳥好きで小石川の屋敷に標本館を建て、日本産の鳥全種類の標本を集めた、外国の鳥の標本も蒐集し、学術的に極めて価値が高い膨大なコレクションを築き上げた。
しかし、Wikipediaによれば「蒐集や剥製作りに資金を注ぎ込みすぎた上、投資の失敗や遊蕩や知人からの裏切りなどが重なって、1926年に破産した。2700坪の邸宅と1万坪の所有地を売却することを余儀なくされ、剥製2000点、学術用半剥製1万7000点にのぼる貴重なコレクションは鷹司信輔や山階芳麿、蜂須賀正氏のもとに分割売却しなければならなかった」と書かれている。

これがなければ今の播磨坂周辺ももっと変わっていたと思うが、近くの寺にあった墓をこの照光寺に移したのだと思う。

この寺は天狗党の傷跡がたくさん残っていたそうですが皆新しくしました。
一部の刀傷のある柱は民俗資料館(4月からふるさと歴史館に名称変更)に保管されていますが、もう一つ大洗の願入寺にある「開基堂」は今から260年前に建てられたこの照光寺の本堂を移したものです。


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寺の敷地は一部幼稚園になっています。

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駅の方から市民会館方面に曲がる通りを神社通りと言うようですが、総社に続く道だからでしょうか。
こちらからはこのように少し引っ込んだところに寺の入口山門が見えます。

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ここは神社通りで駅の方面を見たところ。
正面突き当りに昔は中町の中心であった天王社(八幡様)がありました。
今では総社宮に合祀され、江戸時代に行なわれていたという祇園祭を地元有志達が中心となり7月に総社で引き継いで実施をしたりしているようです。
(石岡の祭りとの関係はますます曖昧です)

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反対の市民会館側です。
正面は江戸時代の陣屋があった場所で、府中城があった場所でもあり、常陸国の国府が置かれた場所でもあります。

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ではこの神社通りを行かずにそのまま突っ切って真っ直ぐ進んでみましょう。
ほとんど観光客などは歩かない道です。
上の写真はその道の突き当りを右に見たところ。この先に市が最近整備した「上池公園」があります。

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突き当りから人が通れるだけの裏道のような道があります。
そこを進むととある神社に出ます。
「木之地の愛宕神社」です。

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この愛宕神社は昔近くの愛宕山にあったそうですが、愛宕山が整備されたのでこちらに移したようです。
この神社には「木之地のみろく」という変わった人形が残されています。
中町の天王社の祭礼にはこの人形が出て彩りを添えたようですが、今ではほとんど残っておらず同じみろく人形が残されている竹原などを参考に復元したりしています。
是非これらを残してほしいと思います。
(詳細はまえに書いた→ こちら

この木之地町は石岡のおまつりに当初は参加していましたが、町が小さいということで脱退しています。

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神社前の通りを進とこのスーパータイヨーに出る。
地元でも安いと評判のスーパーでおにぎりなど1個60円で多古米使用でおいしいので最近時々買う。
セブンイレブンのおにぎりと比べても遜色なく却って美味しいくらいだ。
お金が厳しくなれば3個で181円(税込)。
このスーパーがあったところは昔「久保倉酒造」という酒造所があり、「大徳」という酒を造っていました。
久保倉酒造さんは、いまは石岡酒造と合併しています。


石岡の路地 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2015/05/13 19:14
コメント
ブラロマンですね
Romanさん、ご無沙汰しています。
石岡の路地裏など懐かしく拝見しました。写真から昔からの地形が見える所があります。1枚目の東耀寺から照光寺にわずかに登る道は、街に掲示のある『府中城跡見取り図』では香丸屋敷の堀を越える場所かと。
見取り図には東耀寺がありますが天正年間から在ったのかと驚きます。いまは堕落ぶりが噂になる寺ですが。対する照光寺の幼稚園はもう百年ぐらい続いているはずです。頭がさがります。
なつかしいブラロマンの続きを期待到します。
Re: ブラロマンですね
忠顕 さま

お久しぶりです。ブラロマン?ですか。面白いネーミングですね。
あまりテレビも見ていないのですがブラタモリを意識してしまいます。(笑)

> 石岡の路地裏など懐かしく拝見しました。

この町で生まれたわけでもないので子供の頃の懐かしさなどはありませんが、地元の人は逆に
このように紹介することも思いつかないでしょうから、私がやることに意義はあると思っています。

こうして見て御意見を伺えることは嬉しいことです。

> 1枚目の東耀寺から照光寺にわずかに登る道は、街に掲示のある『府中城跡見取り図』では香丸屋敷の堀を越える場所かと。

そうですか。確かにこのあたりに香丸屋敷と言うのもあったようですね。
今でも町の名前に残っている大きな御屋敷が色々あったのでしょうね。
弓削(ゆげ)なども残っていたらもっと想像が膨らむのですが・・・・。

東耀寺は確か最初の頃にコメントをいただきましたね。
私もあれからほとんどこの寺には行っていません。

> なつかしいブラロマンの続きを期待到します。

他の記事を挟みながら時々続けていければと考えています。
コメントありがとうございました。

Romanさん、こんにちは!

木ノ地のみろくのお話、大変興味を持ちました(^-^)知られざる、石岡まつり、といったところでしょうか…。人形は神社の境内に行けば今でも見られますか?
石岡まつりの前日までに、私も訪れてみたいです。
No title
今晩は・・・_(._.)_。
石岡の風情に目を奪われました・・・^_^;。
素敵で、時代の時間を止めて、そのままの優しい街を留めているので、ますます足を伸ばしたいです。
今度、石岡のお祭りに友人と行きたいと思っています。
〆になりますが、ROmanさんお身体御自愛下さい。
では・・・・・v-22
竹千代さん
コメントありがとうございます。

> 木ノ地のみろくのお話、大変興味を持ちました(^-^)知られざる、石岡まつり、といったところでしょうか…。人形は神社の境内に行けば今でも見られますか?

この人形は石岡のお祭りの間(3日間)木之地の御会所(神社通りの中間くらい)に飾っていました。
でも2~3年飾っていたと思うのですが最近は飾っていないようです。
またそのうちに飾るのかもしれません。神社の中には飾られていないと思います。
(中まで確認したことがありませんが・・・)

お祭りの時に御会所の役員さんにでも聞いてみてくださいね。
たまこさん
お久しぶりです。あつくなりましたね。

> 石岡の風情に目を奪われました・・・^_^;。
> 素敵で、時代の時間を止めて、そのままの優しい街を留めているので、ますます足を伸ばしたいです。
> 今度、石岡のお祭りに友人と行きたいと思っています。

石岡を観光で訪れる方とはおそらく目線が違って面白いかと思います。
あまり住んでおられない方は興味もないかとも思ったりします。
でも御興味を持っていただけたなら嬉しいですね。
是非9月のお祭りに来てください。

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