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石岡の路地(7)

 このブログもだんだんまとめるのが苦しくなってきました。
今までより時間はあるのに・・・・

気力の問題でもあり、本当はやらなくても良いのに仕事をしなければという焦りでもあり・・・・

本当は潮来周辺の記事で気になっていることが残っているのですが調べていたらまとまらなくて。
ということで石岡の路地散歩をもう少し続けますね。

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上の写真の地点は国府公民館の前。
左に行くと冨田北向観音から府中誉の酒造所のとおりです。
右の道がメイン通りですがこちらは後から造られた通りです。

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反対側は左手がすぐ6号国道の「貝地」交差点で高浜に向かう通称高浜街道です。
この道は昔からありました。
右に細い道がありますが、今は6号国道で分断されていますが、このまま進めば月天宮を通って外城方面に行きます。
多分昔は霞ケ浦から恋瀬川に入ってこの先の方からも陸に上がっていたのではないかと思われます。
真中に挟まれているのが「はとりや」菓子屋さん(緑の屋根の店)。

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ここの国府公民館はかなり利用率が高いようです。よく毎日何かに使われています。
ここに公民館を建てるかそれとも歴史資料館のような施設を建てるかと昔議論になったようですが、公民館になりました。
上の写真は公民館の裏の路地です。

P5080043s.jpg

公民館の敷地手前でしょうかこのような石の蔵が残されています。
石岡もあちらこちらに石蔵が点在しています。
今度写真の収集でもやりたいと思います。
でも屋敷の奥などに眠っている所が多いのでどこまで撮らせていただけるかは不明です。

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この公民館裏通りを進み「一成」蕎麦屋さんの通りを突き抜けてさらに細い道を進みます。

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すると左手にこんもりとした盛り土上に「月読神」と「庚申塔」の石碑が置かれた場所があります。
昔紹介したことがありますが、ここは常陸国の駅家(うまや)があった場所ではないかといわれています。
いまでは本当?という感じですね。
このまま進むと坂を下って6号国道に出ますが、この6号国道の低地は昔田圃が広がり「室ヶ井」という湧水が出ていました。
府中六井の一つで平景清が産湯をつかったという話もあります。

・びんずるの谷津に月さす室ケ井の 湧き出づる水の流れ清けれ

という歌も残されています。
水面が瓶面のような谷津に月が差している・・・?
昔はどんな状態だったのか想像も今ではできません。

古代東海道はこの常陸国府(石岡)が終点です。
この場所がそんな場所だったのか想像すらできないのですが、道は恐らく律令制初期の頃は霞ケ浦(流れ海、香取海)を渡って高浜方面から来ていたと思っています。

この場所が駅家だったと想像すると古代の道も見えてくるようにも思います。

石岡の路地 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/05/15 22:31
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