石岡の路地(10)
3月にウィーンから帰ってきた次女に待望の赤ん坊が今日無事産まれました。
男の子です。これでまたお爺ちゃんになったわけです。
娘は神戸ですのですぐには会いに行けませんが落ち着いたら顔を見に行きたいですね。
茨城県石岡市の旧市街地の路地歩きの紹介をしています。
もう10回目になってしまいました。
何とはなしに紹介を始めてみると色々な姿が見えてきます。
良いこと、悪いこと色々混ざっています。
人それぞれ感じることも違いますが、この町も眠ったようでありどうしようもないと感じる人もあれば、昭和のロマンが漂っていて好きだという人もいます。
あまり発展しないことである種の郷愁が残っているのでしょう。
私は古代、中世の歴史の息づく町の面影を抱きながら町を眺めることが今まで多かったのですが、この町の路地歩きで数十年前から変化がないようでもそれなりに変化しています。

国分寺への入口にある青柳商店さん
東日本大震災で被災したレンガへいの修復中です。
このレンガ塀の前に以前飲み屋さんがと駐車場などがありましたが今はありません。

レンガ塀の上に瓦で屋根をつけています。
レンガ塀の左側には現在コンビニエンスストアができていますが、これも比較的最近です。

この青柳さん「青柳新兵衛商店」といいますがこの国分寺門前通りは昔市場も開かれ江戸時代もにぎわったようです。
その頃からあるのでしょうか米穀商をされていると思います。

こちらの蔵は駅前突き当りのマスヤさんの少し香丸通り側の駐車場空地に置かれていた石蔵ですが、最近中を整理して何かに使われ始めたようです。
重厚な扉の石蔵は昔の人の心意気を表したものでしょう。
火事の多かった石岡などの商都では競って石蔵を建てたようです。
現在もまだかなり残されていますのでこれらをもう少し市のシンボルとして活用する工夫も必要ですね。
1か所が頑張ってもなかなか有機的につながらないものでしょう。
石蔵ピザや石蔵コンサートなど各地で色々な催しも行なわれていますので、この町には何が似合うのでしょうね。

こちらはおなじみの香丸通り側にある浜総業さんの事務所であったもの。昭和9年の建築。
男の子です。これでまたお爺ちゃんになったわけです。
娘は神戸ですのですぐには会いに行けませんが落ち着いたら顔を見に行きたいですね。
茨城県石岡市の旧市街地の路地歩きの紹介をしています。
もう10回目になってしまいました。
何とはなしに紹介を始めてみると色々な姿が見えてきます。
良いこと、悪いこと色々混ざっています。
人それぞれ感じることも違いますが、この町も眠ったようでありどうしようもないと感じる人もあれば、昭和のロマンが漂っていて好きだという人もいます。
あまり発展しないことである種の郷愁が残っているのでしょう。
私は古代、中世の歴史の息づく町の面影を抱きながら町を眺めることが今まで多かったのですが、この町の路地歩きで数十年前から変化がないようでもそれなりに変化しています。

国分寺への入口にある青柳商店さん
東日本大震災で被災したレンガへいの修復中です。
このレンガ塀の前に以前飲み屋さんがと駐車場などがありましたが今はありません。

レンガ塀の上に瓦で屋根をつけています。
レンガ塀の左側には現在コンビニエンスストアができていますが、これも比較的最近です。

この青柳さん「青柳新兵衛商店」といいますがこの国分寺門前通りは昔市場も開かれ江戸時代もにぎわったようです。
その頃からあるのでしょうか米穀商をされていると思います。

こちらの蔵は駅前突き当りのマスヤさんの少し香丸通り側の駐車場空地に置かれていた石蔵ですが、最近中を整理して何かに使われ始めたようです。
重厚な扉の石蔵は昔の人の心意気を表したものでしょう。
火事の多かった石岡などの商都では競って石蔵を建てたようです。
現在もまだかなり残されていますのでこれらをもう少し市のシンボルとして活用する工夫も必要ですね。
1か所が頑張ってもなかなか有機的につながらないものでしょう。
石蔵ピザや石蔵コンサートなど各地で色々な催しも行なわれていますので、この町には何が似合うのでしょうね。

こちらはおなじみの香丸通り側にある浜総業さんの事務所であったもの。昭和9年の建築。
これだけの規模になると維持管理するにもコスト負担がかなり大変なものになりそうですね。2枚めの写真を見る限りではまだ何とか維持する体力はありそうですが、今後は予断を許さないのでしょうね。
レンガの建物、石蔵の建物どの建物を見ても美しい風情を彷彿し今も輝かしい時代を残している事は、素晴らしい事です。
古き良き時代の宝物と言っても佳きことと思う次第です。
また、石岡を足を伸ばしたくなりました。
Romanさん、取材ご苦労様です。
お身体御自愛の程過ごして下さい。
それでは・・・
> これだけの規模になると維持管理するにもコスト負担がかなり大変なものになりそうですね。2枚めの写真を見る限りではまだ何とか維持する体力はありそうですが、今後は予断を許さないのでしょうね。
東日本大震災ではこの敷地の中の蔵や屋敷もかなり被害にあいました。
我が家も含め屋根瓦や塀の被害は大変でした。
この家も内部の修繕が終わって、一部の敷地をコンビニに貸してこうして塀の修理が始まったところです。
体力があるかどうかは傍からは良くわかりません。
青柳氏も浜氏も石岡にとっては昔からの中心人物ですからまだ体力もあるのでしょうね。
> レンガの建物、石蔵の建物どの建物を見ても美しい風情を彷彿し今も輝かしい時代を残している事は、素晴らしい事です。
昔の商都にはこのような石蔵やレンガ造りの物が結構残っています。
でも地震でかなり被害も出たし、開発の邪魔になったり・・・
壊さずに何か利用していきたいものだと思います。
コメントありがとうございました。
今度来られたらこんな物も探してみてください。
夕方にこの建物の前に立ちました。
その時の蔵の扉が全て開いている迫力、
凄まじいの一言でした。
あれからも蔵の街は喜多方、栃木など行きましたが、
忘れられない光景ですね。
ああ、またこの街にお邪魔したくなりました。
町おこしのスイーツ達もkozoh55のお気に入りでしたし。
ありがとうございます、またお邪魔します。
ブログにお越し下さりありがとうございます。
蔵の町としてはまだ中途半端ですが探すと色々あります。
何とかもう少し有機的につながればと思うのですが・・・。
やはりこの浜総業さんの蔵は迫力ありますよね。
> ああ、またこの街にお邪魔したくなりました。
> 町おこしのスイーツ達もkozoh55のお気に入りでしたし。
是非またお越しください。今度はお会いしたいものです。
あのあと2度中華屋に行きましたよ。
綺麗ではないけれどまだおばちゃんも頑張ってやっています。
また来てください。