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本牧メルヘン

今日は台風が日本海側を北上している影響で風が強く、暑さの点では助かっている。
韓国へ上陸したはずの台風が日本列島に戻ってきて大きなニュースになっている。
日本のニュースや天気予報も日本列島ばかりで隣国である韓国はニュースにならない。
もし、同じように報道していれば距離感なり我が国の立地と他国との関係などももう少し身近に感じられるに違いない。
ここ石岡も多くの百済人(要人)が自国が滅ぼされた時にやってきて土着したようである。意外に身近なところに大和民族や朝鮮半島人、アイヌ人や縄文人が住んでいたことに驚かされる。
ところで、先日NHKテレビの歌謡番組で鹿内孝が「本牧メルヘン」という歌を歌っていた。
私は生れは新潟県であるが幼い時から小学1年生までこの本牧(横浜市)に住んでいた。
1972年に発売されたこの歌はほどほどのヒットで記憶にある人は多くはないと思うが、変わった歌詞が私の小さかった時の思い出と共に蘇った。
 本牧で死んだ娘は鴎(カモメ)になったよ
 ペットのブルースに送られて  (ペット:トランペット)
 踊るのが大好きといってたあの娘が
 さびしさに耐えかねて死んだのさ
 ジョニーもスミスの泣くのを忘れて
 海鳴りに向かって歌っていたよ
 本牧で死んだ娘は鴎になったよ
 なぜかしら誰でもがそう思う
まったく寂しい歌である。作詞家の阿久悠が「あまり売れなかったが何故か愛しい歌」として選んでいる。
  URL:阿久悠「あんでぱんだん」
阿久悠はこの後大ヒットとなった「ジョニーへの伝言」を書き、ジョニーを再登場させているのである。
私が本牧で育った頃は、まだ戦後の貧しい生活があたりまえで、アメリカ兵の後についていけばチョケレートが貰えた。「ギブ・ミー・チョコレート」の英語を知らぬ間に使っていた。
アメリカ兵と付き合って派手な服装をしていた日本娘は「パンパン」などと呼んで蔑みのことばで呼ばれていた。
しかし、当時アメリカ人の屋敷が広大な敷地で一面の芝生の緑が目に焼き付いてもいる。
こちらは粗末な家に住んでいたが、うらやましいとは感じなかった。まだ家がなく海岸沿いの崖に掘られた洞穴や山の上にある御堂に住んでいた人もまだいたし、学校の同級生にもいたのである。
恐らく、ここ石岡では経験することはなかったと思う。阿久悠があえて国籍不明の(無国籍の)歌を作ったのも、またその象徴として本牧を選んだのも何か今となって感じるものがある。やはり阿久悠は天才なのであろう。
ここ石岡に来て、この町を見る感性がきっとこの頃からのものなのかもしれない。
本牧は昔海だったところは埋め立てられてはるか先に行かなければ海がない。昔は海苔などを採る漁師も大勢いたのだが・・・・・。

子供のころ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/08/12 10:24
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