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石岡の路地(14)

 石岡の富田町は府中酒造の蔵と北向観音堂、平福寺が並んでいる。
道は狭いが昔はこちらがメイン通りであっただろう。

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この北向観音堂は常陸国総社宮の神宮寺として昔に総社境内に建てられたもの。
それを上の写真の撮っている位置辺りに移し、そしてこの町(常陸府中=石岡)の町立てをする時に今の位置に移したようだ。

この町立てをしたのが何時の事だかわからぬが、戦国末期に混乱でぐちゃぐちゃになった町を建てなおした時か、江戸時代になってからかまったくわからない。
この北向観音の正面の通りは今は「金丸寿通り」などとしゃれた名前がついているが、旧水戸街道と平行に走っているので恐らく水戸街道ができる前の町のメイン通りであったのかもしれない。

北向観音を南端に配置し、福徳稲荷神社を反対側の北端に配置して街並みを整えたに違いない。
(文献を探すが何処にもこのような記述は見つからない)

こうして見るとこの町も結構愛おしく感じる。

富田町は石岡のお祭りでは「ささら」という変わった三匹の棒獅子が出ることで、昔からの格調の高さが思われるが、江戸の宝永年間までは馬之地町といった。
隣りの現在守横町は「馬之地上町」といった。

これからしても貝地信号に近い場所が「駅家」だったことはありうることだと思う。
あまりこのあたりは発掘調査が行なわれていないようだ。

駅家(うまや)は都との連絡官道の駅として重要な役割を持ち、ここに馬などを常駐させていた。
名前からしてこの馬を管理する人たちが住んだところだろう。

北向観音堂の隣りにある平福寺は前にブログで「平氏の福を願う寺」と紹介した。
坂東平氏の嫡流である大掾氏(だいじょうし)の歴代の墓がある。

P5150006s.jpg

石岡市旧冨田町の空地に置かれたいたチビトラ(小型トラクター?)
かなり年代を感じる。

P5150007s.jpg

大農舎などという会社は知らないが今はどうなっているのか?
石岡町となっているので少なくても昭和29年以前です。

石岡も市制60年が過ぎました。茨城県では5番目の市だったのです。
(水戸、日立、土浦、古河の次)



石岡の路地 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2015/05/25 18:40
コメント
ブログ掲載ありがとうございます
「まほろにふく風に乗って」様
突然の書き込み失礼いたします。
偶々、ネットを検索しておりましたら、小生の父の耕耘機の記述を拝見いたしました。
ご掲載頂き誠にありがとうございます。
もし、ご関心あれば、水戸市の茨城県立図書館の郷土資料コーナーに、この耕耘機を含めた話を纏めた本が登録されております。
題名は、「ポツダム少尉 68年ぶりのご挨拶 呉の奇蹟」と云う本です。(自費出版 非売品)最新版は、第4版になります。
分かりにくいかもしれませんが、終戦時、小生の父が、呉海軍工廠造機部の技術少尉であった話をメインにしております。アニメ映画「この世界の片隅に」のすずさんが経験された当時の実録です。
石岡市立図書館で、相互貸借制度で申し込んで頂ければ、時間は掛かりますが、取り寄せて貰えます。
ご関心あれば、是非ともご一読ください。

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