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潮来から息栖(3)-なさか夕日の郷

 潮来から神栖地区に入る境を流れる「鰐川」。
この川は北浦から外浪逆浦という湖に注ぐ。
この湖は常陸利根川の途中が膨らんだような湖で、利根川が銚子の方に東遷したことでこんな形になったものだろう。

国道50号線で潮来から神栖へ向かうとこの鰐川に架かる橋が「鰐川橋」である。
そして、ここからもう外浪逆浦が始まるといってよいようだ。

外浪逆浦は「そとなさかうら」と読む。
そしてこの川のすぐ近くにここから外浪逆浦に沈む夕日がきれいなことから「なさか夕日の郷公園」という小さな公園がある。

ただこの近くは道が狭く入り組んでいて知らないと、少しまごつきそうだ。
自転車や徒歩なら川沿いを行けばよい。

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7~8台位停まれる駐車場がある。

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こんなブランコもある。
奥に見えるのが夕日を眺める展望台。

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展望台の上から外浪逆浦を眺めた。
ここを訪れたのは午前中で、天気もあまり良くなく太陽は見られなかったが、夕日がきれいなのだとか。

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川の上流側には先に紹介した「鰐川橋」が見える。

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川や湖はこの公園の西側になるが、東側は上の写真のような田んぼや畑が広がる。

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この川の東側は「神栖市下幡木(しもはたき)地区」と呼ばれる。
このあたりの土地の開墾や開拓については鰐川橋の麓にこんな碑が建てられていた。
「未来を創る大地」と彫られている。

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内容は上の写真をクリックすれば読めると思います。

なさか2

Flood Mapsで水面を1mだけ上げて表示させてみました。
このあたり一体は水面下になります。また潮来市側も徳島地区も水浸しです。

そしてこの地区にできた広大な土地の開拓が行なわれたのは江戸時代です。
昔この徳島地区の広大な水田地帯を「延方」と「下幡木」のどちらの領地に含めるかということで取りあいとなった。

この決着を江戸幕府が裁定を下し延方に軍配を上げた。

そして喜んだ延方では地元の神社に相撲を奉納した。

それが、寛文13年(1672年)に鹿嶋吉田神社で始まった「延方相撲」である。

しかし、このような低地は色々水害も多く発生し問題山済みだったようだ。

私が東日本大震災の数ヵ月後に車で高速道路の「潮来」インターで降りて潮来市街に向かった時にこの付近を通った。
道路は液状化でデコボコで惨憺たる状況であった。

現在も潮来川の日の出地区では連日道路工事が行なわれているが、これは当時の復興もあるが新たにこの地区の開発を進めているようだ。

別途いつかそちらの様子も紹介したい。

まずはここから息栖神社を目指すこととしました。
息栖神社まで4kmくらいでしょうか。

昔東国三社(鹿島、息栖、香取)を巡ることが流行りました。
この鹿島神宮から息栖神社に行くルートは小林一茶の日記などで比較的わかるようです。
陸でつながっているのですが、参拝客は鹿島の大船津を舟で対岸に渡り、潮来から帆船?で息栖や銚子に向かったようです。

潮来は隣りの牛堀なども風を待つ船が待っていて、風が海の方に吹き始めると急いで船に乗り込んだようです。
小林一茶が潮来で舟にのったのは早朝の5時頃。
いっぽう吉田松陰が牛堀から舟に乗ったのはもう夕方になっていたようです。

朝日が昇って夕方までは海から陸に風が吹いていたのでしょう。
その風待ち港となったのが牛堀だったようです。
今の生活ではなかなか想像がつきにくいですね。

前に牛久沼で「うな丼」が発明された(記事はこちら)と書きましたが、これも風待ちで急に出向するようになったのでしょうか。
それほど大きな沼でもないのにどんな状態であったのかを想像するの楽しいですね。



潮来から息栖 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/05/29 20:02
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