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潮来から息栖(5)-息栖神社

 潮来境界の鰐川から川に沿って息栖神社を目指しました。
車の通る道は整備されておらず、ただ土手に沿って道はあり、少し走っては土手に登り、またその先で下に下りてまた土手に登るということを数回繰り返しました。

神社まであと1kmくらいのところで舗装された道が現れました。

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そしてそのまま川沿いの道を進むと見たことのある息栖神社の「忍潮井」という池の場所に出ました。
ここは川から水門で水を池に取り込んでいます。

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 しかしこの池はただの池ではありません。
「忍潮井(おしおい)」(潮を押し退けて霊水が噴き出したいる?)と呼ばれる天然の井戸として大変貴重なものとされていました。
なにしろ日本三霊泉の一つと言われました。

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元々海水と川の水が混ざる汽水湖の中から真水が噴き出していたというのです。

この鳥居の近くに「男瓶」「女瓶」といわれる瓶(ビン)の形(男瓶は銚子の形、女瓶は土器の形)をした中から真水が湧き出しているというのです。

しかし、この神社も西暦809年に東国三社が直角三角形の位置になるように移動したものですから、最初の井戸は移る前の場所(日川地区)にあったことになります。

移動した時にこの瓶が泣きながらついてきてこの場所におさまったとの話が残されています。

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今回潮来側から川沿いにやって来て見ると、この神社のイメージが少し違って見えました。
やはり沖(隠岐)の洲の場所に二つの武神(香取、鹿島)の間にバランスを取るように武神達を案内する船の神(天鳥船命)と汚れを清める神、岐神(くなどのかみ)が祀られているのはそれなりに意味がありそうです。

息栖(いきす)という名前も沖洲から来たものと考えていましたが、この井戸が汚れを清め、この地から北へ豊かな恵みの稲作を広めていった根本に置かれるという役割を感じます。

日本三大実録では「於岐都説神」(おきつせ)であり、江戸時代には芭蕉が書いたように「気吹戸主神」とも呼ばれていたようなのでこれも漠然とイメージは浮かんできます。

しかし今の神社の社殿はコンクリート造りでどうも雰囲気を半減してしまっているのは残念に思う。


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<これまでの関連記事>
息栖神社(1) 東国三社(こちら
息栖神社(2)-句碑(こちら
息栖神社-忍潮井(こちら
息栖神社遷座(こちら

潮来から息栖 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/05/31 19:40
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