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潮来から息栖(7)

 神栖市高浜の東漸寺からすこし行くと「石神」という地名になる。
ここに立派な寺があった。

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「真言宗智山派 走湯山 花光院」 と書かれています。

江戸時代にここで寺小屋が開かれ子供たちが学んでいたという。
今もこの寺の裏手に幼稚園がある。

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寺の本堂は立派です。その前に「弘法大師 御修業像」と書かれた像が立っています。
本堂は火災で焼失してしまい幕末の嘉永年間(1848-1854)に建てなおしたものだそうだ。

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向かって右側から「奉納 日本回国供養」「普門品供養塔」「月山・湯殿山・羽黒山 西国四国秩父坂東供養塔」「奉納観世音?」「月山 湯殿山 羽黒山 供養塔」「普門品供養塔」となっています。

右奥には「もみのき児童公園」と書かれた子供の遊び場があります。


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この如意輪観音像も十九夜講の文字が刻まれています。

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ここには「弘法大師(空海)」とかかれていますので、この中に空海の像があるのでしょうか。
寺の境内にはこの反対側に「淡島さま(淡島明神)」と書かれたお堂もありました。

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この五輪塔も少し変わっています。何時頃のものでしょうか。
この寺の歴代の住職の墓かもしれません。

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こちらの像も半分埋まってしまっています。
真中の像には寛文九年の銘があり○○禅定尼とありますから、江戸時代の女性の墓石でしょうか。

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こちらは三猿があり、庚申塔(青面金剛)です。

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こちらは良く読めませんが「普門品一万巻供養塔」と書かれているようです。
説明は昨日しました。

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この場所の周囲を見ると少し土塁などや堀もあったような雰囲気です。
調べて見るとやはり中世に城があったようです。
「石神城」と呼ばれ、ここの石神氏はやはり常陸大掾氏の一族だったという。
しかし1558年頃に同族同士の争いで滅んだという。


潮来から息栖 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/06/02 21:19
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