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経塚(2)

 1月に親鸞聖人の経塚を2か所紹介しましたが、調べてみるとここ石岡市にもう2か所一般的に言われている経塚(きょうづか)があることが判明しました。
場所は北谷経塚と嘉良寿理で、ともに歴史学上重要なものと言われています。

北谷経塚の出土品(金銅経筒)は上野の国立博物館の考古展示室に展示されているようです。
この資料によれば、室町時代・大永2年(1522) のものとのこと。

経塚というのは、平安時代にひろまった末法思想の影響で造られるようになったといわれ、大切なお経を金属製の筒などにいれて、土の中に埋めた場所と言います。
末法とは、釈迦の死後2000年たつと訪れる、仏の教えが廃れ、世の中が乱れる時代のことです。
その後、56億7000万年後に弥勒如来が現れ、再び仏教が栄える時代がやってくると信じられていました。その時まで経典を保存するために、経典を容器に収め、地中に埋納したのです。

北谷となっていますが、昔の地名では尼寺ヶ原の北の方に「北谷」とあるので今の「北の谷」地区でしょう。石岡二高の少し北側の方です。

もうひとつの嘉良寿理(からすり)経塚についても国立博物館にて展示されたようですが現在は石岡市中央公民館(柿岡の市役所支部のとなり)で展示されているそうです。
石岡市のHPに写真が載っていました。 
 これらは、花崗岩製の石櫃(いしびつ)の中に経典を入れた筒を収め、塚を築いて埋納したものです。
結構立派なものですね。筒の表面に「大永3年(1523)、甲州高屋住道善 小聖善貞」と刻まれているとのことです。北谷のものとほとんど同じ時期ですね。

調べてみると近くにもうひとつ立派な場所がありました。土浦市の東城寺の裏山です。この寺は筑波四面薬師の一つです。
大分興味が湧いてきましたので行ってみることにしました。
そのレポートはまた明日に紹介しましょう。 
 

経塚の話 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/02/23 19:10
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