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ふるさとは何処か?

 昨日のヒロ爺(白井啓治さん)のブログに「ふる里の風に聞いてみた ふる里は何処かと」という記事が載った。(こちら

これは昨日私が市のある団体にこの会の支援ができないかを相談したが、あまりに肝っ玉の小さな"井の中の蛙"を実感したことをぼやいて氏へメールで連絡したからかもしれない。
もちろんこれは私が勝手にこんな組織に相談した方が悪いのだが。

こちらから綺麗な音色を期待してトライアングルを小さなバチで軽く打ちならしてもかえってくるのは蚊の鳴き声か?
それならと太鼓を大きなばちでたたいてみても間延びした鈍い響きがかえるだけだ。

白井啓治さんは「ふるさと風の会」の主査をされているが、この会も今月でまる九年となった。
来年は十年という節目を迎える。
そしてこの風の会展を

☆ 6月20日(土)・21日(日)10:00~14:30 石岡市柴間 ギター文化館

で開く。是非お越しください。14:30からはことば座公演も行なわれます。
(詳細は:こちら

しかし常世といわれたこの地で風に向かってつぶやいて九年になり大地に根をしっかり張っているので多少の風雨では倒れないが、いまだこの地では大きく開いてこない。

私の夢はこの地でなくとも綿毛のように飛んでいってそこで花開かせ、また舞い戻ってくることだって素晴らしいと思う。
この1年間少しだけでも動いてみたい。

結成三年目で白井啓治が書いた会報に引用された三好達治の詩(詩集「花筺(はながたみ)」より)を思い出したので紹介しましょう (風に吹かれて(09-9))

 「かよわい花」

    かよわい花です

    もろげな花です

    はかない花の命です

    朝さく花の朝がほは

    昼にはしぼんでしまひます

    昼さく花の昼がほは

    夕方しぼんでしまひます

    夕方にさく夕がほは

    朝にはしぼんでしまひます

    みんな短い命です

    けれども時間を守ります

    そうしてさつさと帰ります

    どこかへ帰ってしまひます

P6110003s.jpg

(2015.6.11 7:00 am 撮影)

時期的にはまだ朝顔も早いがもう咲いた。
これもたくさんの花が次々と昼といわず夕方ころまで咲く。



雑感 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2015/06/11 12:25
コメント
こころのふるさとはユートピアとは別か
石岡で子供時代、もの心ついてから大人の会話には人の悪口ややっかみが多く入っていると知りました。
最近ある本で、田舎では葬式でまで悪口が出てくるのは‘共同体内の幸せの平準化’という説があり、なるほどと思いました。
そうした屈折しつつ平準を共通価値とする付き合いはおのずと範囲が限られ、地域の違い、排他性と感じるものの源かと想像します。
どうやら心地よい付き合い方が一定の地域範囲ごとに有り、生活に追われる昔の大人たちはその心地よさのみあれば、かたちに求められるものを多く求めなかったのかもしれません。その倣いが今も続くのかと。石岡ばかりではないと高校(水戸)時代にも感じましたが。行動できるのはかたちに対してだけですけどね。長く失礼しました。
Re: こころのふるさとはユートピアとは別か
忠顕 さま
コメントありがとうございました。

> 最近ある本で、田舎では葬式でまで悪口が出てくるのは‘共同体内の幸せの平準化’という説があり、

確かにこの考え方はあるでしょうね。
でもこれで終わってしまっては物事何も変わらないように思います。
そんな中からも文化は生まれるのが普通です。

それが地域の民度に表われるのかもしれません。
私には生まれ故郷というものの感じ方が弱いかもしれません。
子供の頃に家族で都会に出てきてしまったせいかもしれません。
Empowerment(湧活)的なものがもう少しあると思っていたのです。
どこの地方にも閉鎖的なものとこれを打ち破ろうとする力は混在しているはずです。
思いはあれど実行するのは難しいですね。でももう少し頑張って見ます。
コメント誠にありがとうございます。

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