5500年前の古代丸木舟
千葉県多古町の栗山川周辺は古代丸木舟がもっともたくさん発掘されている場所です。
日本でこの古代(先史時代)の丸木舟は200例ほどあるそうだが、そのうちの半数が千葉県で発見され、中でもこの栗山川周辺から発見された物が一番多いのだとのこと。
その古代丸木舟を多古町のコミュニティプラザに展示してあるというので少し遠いが足を延ばしていってきた。

多古町コミュニティプラザは新しい建物でとても素晴らしいきれいな建物だ。
まわりのものに比べて立派なものを作りすぎたのではないかとの気がしないこともない。
入り口をはいると正面に図書のスペースがあり、左手に大きな事務スペースがある。
入っているのは生涯学習社会教育係? たくさん人がいました。
2階以上には研修室などたくさんの部屋があり、隣りに立派な文化ホールがある。
1階の生涯学習課?前のホールにガラスには行った陳列棚にこの丸木舟が置かれていました。

しかしホールの灯りは暗く、ガラスも光ってしまい中が良く見えません。
丸木舟の長さは7.45m このように室内に展示してあるとかなり大きいと感じる。

ガラスにカメラのレンズを押し当てて写真を撮って見ました。
少しイメージがわきますか?

約5500年前(紀元前3500年頃)の丸木舟の木がこんなです。

古代ハスで有名な大賀博士が復活させたハスの種は、千葉市郊外の検見川で発見された古代舟に残されたハスの実から発芽させたものですが、これも今から約2000年前のものです。
この古代の舟はそれよりも倍以上前になります。
縄文時代前期の終わりから中期始めです。

展示ホールの壁には発見された当時の写真などが飾られていました。
とても興味深いです。
この丸木舟を見ている人は他にはだれもいないようです。見学者も少ないのでしょうね。

この栗山川のすぐ近くで発見されました。

発見されたのは平成6年です。
ほとんど原形のまま発見されました。
地表から1.2m下の地中から見つかったそうです。

運び出す時に壊れるので発砲ウレタンだ全体を包み鉄パイプの枠をに載せて運んだそうです。
そして、このプラザの庭にあるプールに入れてしばらく保存していたと書かれていました。
、

でも5500年も前の木ですから結構ボロボロだったようです。

それを平成11年から14年にかけて京都の吉田生物研究所に持ち込んで復元作業を行いました。

まず高級アルコール法で水分を除去し、バラバラに分かれてしまった木片を組み立てて舟の再現をしたそうです。

吉田生物研究所での復元作業の写真。

10mを超える古代舟も数例見つかっているようですが、このような古代のものを見て昔の状況を考えて見るのも良いのではないかと思います。
いまから5~6000年くらい前には縄文海進で海面は今より数メートル高かったといわれています。
少なくても2~3mくらい高かったように思います。
そのため、この舟も海の下に沈んでいて、そこに土砂が上から覆っていったと思われます。
ロマンが広がりますね。
この辺りでこのような丸木舟を扱い何千年、何万年ものあいだ生活していた民族はどんな人々だったのでしょうか。
日本でこの古代(先史時代)の丸木舟は200例ほどあるそうだが、そのうちの半数が千葉県で発見され、中でもこの栗山川周辺から発見された物が一番多いのだとのこと。
その古代丸木舟を多古町のコミュニティプラザに展示してあるというので少し遠いが足を延ばしていってきた。

多古町コミュニティプラザは新しい建物でとても素晴らしいきれいな建物だ。
まわりのものに比べて立派なものを作りすぎたのではないかとの気がしないこともない。
入り口をはいると正面に図書のスペースがあり、左手に大きな事務スペースがある。
入っているのは生涯学習社会教育係? たくさん人がいました。
2階以上には研修室などたくさんの部屋があり、隣りに立派な文化ホールがある。
1階の生涯学習課?前のホールにガラスには行った陳列棚にこの丸木舟が置かれていました。

しかしホールの灯りは暗く、ガラスも光ってしまい中が良く見えません。
丸木舟の長さは7.45m このように室内に展示してあるとかなり大きいと感じる。

ガラスにカメラのレンズを押し当てて写真を撮って見ました。
少しイメージがわきますか?

約5500年前(紀元前3500年頃)の丸木舟の木がこんなです。

古代ハスで有名な大賀博士が復活させたハスの種は、千葉市郊外の検見川で発見された古代舟に残されたハスの実から発芽させたものですが、これも今から約2000年前のものです。
この古代の舟はそれよりも倍以上前になります。
縄文時代前期の終わりから中期始めです。

展示ホールの壁には発見された当時の写真などが飾られていました。
とても興味深いです。
この丸木舟を見ている人は他にはだれもいないようです。見学者も少ないのでしょうね。

この栗山川のすぐ近くで発見されました。

発見されたのは平成6年です。
ほとんど原形のまま発見されました。
地表から1.2m下の地中から見つかったそうです。

運び出す時に壊れるので発砲ウレタンだ全体を包み鉄パイプの枠をに載せて運んだそうです。
そして、このプラザの庭にあるプールに入れてしばらく保存していたと書かれていました。
、

でも5500年も前の木ですから結構ボロボロだったようです。

それを平成11年から14年にかけて京都の吉田生物研究所に持ち込んで復元作業を行いました。

まず高級アルコール法で水分を除去し、バラバラに分かれてしまった木片を組み立てて舟の再現をしたそうです。

吉田生物研究所での復元作業の写真。

10mを超える古代舟も数例見つかっているようですが、このような古代のものを見て昔の状況を考えて見るのも良いのではないかと思います。
いまから5~6000年くらい前には縄文海進で海面は今より数メートル高かったといわれています。
少なくても2~3mくらい高かったように思います。
そのため、この舟も海の下に沈んでいて、そこに土砂が上から覆っていったと思われます。
ロマンが広がりますね。
この辺りでこのような丸木舟を扱い何千年、何万年ものあいだ生活していた民族はどんな人々だったのでしょうか。
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