円勝寺大師堂(銚子)
銚子の七ツ池からすぐ下の坂道の途中に変わった場所がありました。
地図を見てもよくわからないのですがたくさんのお大師様(弘法大師像)が祀られています。

ふしぎな空間です。
寺がある感じでもありません。
何があるのか車を脇に停めて山の方に登って見ることにしました。

これらの石像(大師像)は皆首を継いだ跡があるようです。
明治に入った時の廃仏毀釈で皆首を落とされてしまったものでしょう。

この坂道を上っていきます。

階段の両側にもたくさんの大師像が置かれています。

入り口の石像も赤い帽子に首から赤い前だれがかけられています。
これもきっと首を継いだ跡を隠しているのだと思います。

「坂大師参道入口」と書かれた案内板があります。
調べるとこの下の街中の少し離れたところに「円勝寺(圓勝寺)」という真言宗智山派の寺院があり、その寺の(弘法)大師堂だということが分かりました。


水子地蔵。


「守堂」
弘法大師1150年記念で建てたものとなっています。昭和59年(1984)でしょう。

弘法大師像は八十八体あるのでしょうか。
数えないのでわかりませんでしたがこの上の開けた場所にたくさん像が並んでいるようです。


境内に「力士高見山之碑」という碑が建てられています。
この高見山は銚子出身の明治のお相撲さん高見山酉之助(とりのすけ)で本名を吉岡酉之助と言ったそうです。
相撲の優勝者の額を掲げる規定が始まって初めての優勝者(明治42年6月 東前頭7 7勝0敗3分け) だそうです。
(最高位は関脇)
色々調べて見ると面白いですね。
でもこの大師堂がどのような経緯で建てられたものか良くわかりませんでした。
地図には「庄大門大師」とも書かれていました。
地図を見てもよくわからないのですがたくさんのお大師様(弘法大師像)が祀られています。

ふしぎな空間です。
寺がある感じでもありません。
何があるのか車を脇に停めて山の方に登って見ることにしました。

これらの石像(大師像)は皆首を継いだ跡があるようです。
明治に入った時の廃仏毀釈で皆首を落とされてしまったものでしょう。

この坂道を上っていきます。

階段の両側にもたくさんの大師像が置かれています。

入り口の石像も赤い帽子に首から赤い前だれがかけられています。
これもきっと首を継いだ跡を隠しているのだと思います。

「坂大師参道入口」と書かれた案内板があります。
調べるとこの下の街中の少し離れたところに「円勝寺(圓勝寺)」という真言宗智山派の寺院があり、その寺の(弘法)大師堂だということが分かりました。


水子地蔵。


「守堂」
弘法大師1150年記念で建てたものとなっています。昭和59年(1984)でしょう。

弘法大師像は八十八体あるのでしょうか。
数えないのでわかりませんでしたがこの上の開けた場所にたくさん像が並んでいるようです。


境内に「力士高見山之碑」という碑が建てられています。
この高見山は銚子出身の明治のお相撲さん高見山酉之助(とりのすけ)で本名を吉岡酉之助と言ったそうです。
相撲の優勝者の額を掲げる規定が始まって初めての優勝者(明治42年6月 東前頭7 7勝0敗3分け) だそうです。
(最高位は関脇)
色々調べて見ると面白いですね。
でもこの大師堂がどのような経緯で建てられたものか良くわかりませんでした。
地図には「庄大門大師」とも書かれていました。
ちょっと こちらからは 遠いなあ~
そのかわり ブログ見させてください
Roman様・・・
私、銚子にも、歴史のあふれる古のお堂を拝見したのは、初めてです(^_^;)。
お休みにでも、お堂に足を伸ばして、行きたいと思います。
取材お疲れ様です・・・<(_ _)>。
どうか、お身体、御自愛の程お過ごし下さい。
では・・・
> 私 こんなところ大好きなんですが、、。
そうですか。あまり人がいないので少しだけ怖い??
でも私も何となく惹かれていきます・・・・・。
こんなところもたくさん紹介しているので時々見てください。
こういうところお好きですか・
全くよく知られていない場所です。
少し一人では怖いかも・・・・
銚子も古いものも結構たくさんあります。
近くでは猿田神社や等覚寺などでしょうか。
今日は遠かったのですが芝山仁王尊まで行ってきました。
歴史の古いインド仏教のすばらしい寺でした。
少ししたらブログに書きます