芝山仁王尊(観音教寺)(1)-仁王門

 千葉県の銚子へ行く途中に国道51号線で成田に向かう途中から県道113号線から多古町を経由して隣りの芝山町に向かった。
ここは成田空港のすぐ東南側の町で空港建設反対などでも盛んにとりあげられた。

そして成田空港から芝山千代田駅までという全長2.2kmという日本一短い鉄道が建設された。
反対派の土地を迂回するためにカーブの多い鉄道だという。

そんな芝山町については私は今まで何も知らない場所であった。
匝瑳市や多古町はある程度ニュースでも目にしたりするので知っていたが横芝光町とこの芝山町はほとんど縁がなかった。

しかし成田空港脇から横芝光町の九十九里浜まで「芝山はにわライン」という名称の付いた街道がはしっている。
それはこの芝山町の殿塚、姫塚古墳からたくさんの埴輪が出土したことから名付けられたそうだ。

その町には芝山仁王尊と呼ばれる古刹がある。

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正式名称は「天應山 観音教寺 福聚院(関東天台旧制伴頭拝領寺院)」という。天台宗の寺だ。

今までネットでは上の写真の仁王門がよく取りあげられているが、この寺はこればかりではなくかなりの大きさの寺で写真で見ていた時とは違って訪れて感じた印象はあなりの圧倒感があった。

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総ケヤキ作りの大きな仁王門は三間四面形式で200坪も敷地面積がある日本でも最大級の大きさだそうです。
現在の建物は明治15年に建てられたもの。

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一般の仁王門は左右に阿吽の大きな仁王像が置かれているのですが。ここは左右それぞれ畳敷きで須弥壇が置かれその上に仁王尊天(黒仁王)が祀られています。
この部屋も中は撮影禁止というので写真はありません。

この仁王尊天像はインドの仏師毘首羯摩の作といわれている。
この寺はインド仏教の影響がかなり強く残っている。

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江戸時代には江戸の商家ではこの芝山のお札を火事泥棒除けとして多くの家で信心されていたそうです。

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寺の歴史を調べると寺のHPには
「日本年代記によれば、人皇第四十九代光仁天皇の宝亀十一年(780)正月、平城京が雷火に襲われ、皇室擁護の寺院が多く焼失したので、諸国に命じて新たに仏寺を建立せしめたとあります。丁度その時、征東大使として蝦夷平定の任にあった中納言藤原継縄朝臣がこの布令の下に当地に寺院を建立し、御本尊として奉持して来た十一面観世音大菩薩を奉安したのが、当寺の始まりであると伝えられております。」
と書かれています。

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常陸国府に常陸守として来ていた藤原宇合(うまかい)が都に戻って征夷大将軍(持節大将軍)となったのは724年。

藤原継縄が征夷大将軍(征東大使)となったのが780年。

征夷大将軍の坂上田村麻呂が蝦夷征伐で阿弖流爲(アテルイ)などを破ったのが802年。

多くの神社がこの田村麻呂の制圧凱旋に合わせて建立された。

これより古い寺はかなり数が少ない。奈良を模倣して幾つも寺は建てられたがその多くは廃寺として形を残していない。

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境内などはまた明日続きを書きます。

匝瑳・多古周辺 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2015/07/12 21:37
コメント
No title
今晩は・・・_(._.)_。
Roman様
お暑う御座います・・・このところ夏を感じる季節となって来ましたね。
此方の寺院を拝見し、ブログの写真に載っている山門にある大きい草鞋を見て、これは、珍しいので友人と連れ立って、
見に行こうと思います。
日本にも美しく残っている建物が、あると思うと、誇りに思えてきます。
日本の古刹を大切に見守りたい気持ちでいる次第です。
少々生意気な事を書き込んですみません・・・(__)。
Romanさん、これから、暑くなりますので、お身体御自愛の程お過ごし下さいませ。
では・・・v-22
たまこ 様
今晩は。
本当に暑いですね。

この芝山仁王尊も結構面白いです。
埴輪博物館にも入りましたがたくさん素晴らしいものがありました。
しかし誰もいなくて一人占め。でも写真撮影禁止なので写真は撮れませんでした。
門のおおきな草鞋は時々見かけることがあります。
茨城では薬王院(桜川市椎尾)にもあったと思います。
こちらの三重塔も立派なものです。
前に書いた記事:
http://yotsuba23.blog104.fc2.com/blog-entry-220.html

面白いところだと思います。お出かけになったら乾燥などお聞かせくださいね。


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