芝山仁王尊(観音教寺)(7)
芝山仁王尊の7回目。今回が最後となります。
最近記事が単調で、調べて書く気力が衰えてきているようです。
この寺は江戸時代に成田山新勝寺(お不動様)と並んで芝山の仁王様として信仰が厚かったようです。
特にこちらは火防の守り神としての信仰が強かったようです。
火事と喧嘩は江戸の華何て言っていられませんよね。
土蔵を造って火事に備える。
こんな流れが石岡などでも商家の石蔵や土蔵になったのでしょう。
寺の境内には「両山講」と書かれた石碑があり、この成田と芝山をお参りする講が盛んに行なわれたようです。
(1月、5月、9月)
本尊は十一面観音です。

境内の片隅にある藁葺屋根の不動堂の隣りに少し変わった石碑が置かれていました。
向かって右側は「名馬吾妻の塚」、左側は「瘞駿塚(えいしゅんづか)」と書かれています。
瘞(えい)はうずめることとありますから駿馬をここに埋めたということです。

説明は上の看板を読んでください。
成田空港の建設で下総御料牧場が取り壊された時に、そこに置かれていた碑をこちらに移したものと書かれています。

またすぐ近くに古い鐘楼があるのですが、現在は仮鐘楼堂ということで粗末なすぐにも壊れそうな造りで気になりました。
これでは風雨で痛むのも早くなりそうです。
でもこれは昔からの鐘楼とはちがうのかな?
現在新しい鐘楼堂を建てる計画のようです。


最近記事が単調で、調べて書く気力が衰えてきているようです。
この寺は江戸時代に成田山新勝寺(お不動様)と並んで芝山の仁王様として信仰が厚かったようです。
特にこちらは火防の守り神としての信仰が強かったようです。
火事と喧嘩は江戸の華何て言っていられませんよね。
土蔵を造って火事に備える。
こんな流れが石岡などでも商家の石蔵や土蔵になったのでしょう。
寺の境内には「両山講」と書かれた石碑があり、この成田と芝山をお参りする講が盛んに行なわれたようです。
(1月、5月、9月)
本尊は十一面観音です。

境内の片隅にある藁葺屋根の不動堂の隣りに少し変わった石碑が置かれていました。
向かって右側は「名馬吾妻の塚」、左側は「瘞駿塚(えいしゅんづか)」と書かれています。
瘞(えい)はうずめることとありますから駿馬をここに埋めたということです。

説明は上の看板を読んでください。
成田空港の建設で下総御料牧場が取り壊された時に、そこに置かれていた碑をこちらに移したものと書かれています。

またすぐ近くに古い鐘楼があるのですが、現在は仮鐘楼堂ということで粗末なすぐにも壊れそうな造りで気になりました。
これでは風雨で痛むのも早くなりそうです。
でもこれは昔からの鐘楼とはちがうのかな?
現在新しい鐘楼堂を建てる計画のようです。


昨日、芝山仁王尊に足を伸ばして参りました。
山門の途中から、足を伸ばして、行きました。
緑のの美しい場所で、自然の優しさに触れた感じです。
本堂にも、お邪魔してお祈りしてまいりました。
また、お邪魔したいです。
Romanさん、これから、暑くなりますが、お身体御自愛の程、お過ごし下さい。
では・・・
早いですね。
もう行かれたのですね。
1、5、9月でもないとあまり人もいないでしょうね。
> 緑のの美しい場所で、自然の優しさに触れた感じです。
> 本堂にも、お邪魔してお祈りしてまいりました。
少し遠いのが難点ですね。
私も古墳に行ったり九十九里の屋形の方にも行きたかったのですが
時間切れでした。
何時かまた行く予定です。