大儀寺ー芭蕉月見の寺

 芭蕉の鹿島紀行には下記の記述があります。

「洛の貞室、須磨の浦の月見にゆきて、「松かげや月は三五夜中納言」と云けん、狂夫のむかしもなつかしきままに、此秋かしまの山の月見んと、思ひ立つことあり。
伴ふ人ふたり、浪客の士ひとり、一人は水雲の僧。
・・・・・・
門より舟にのりて、行徳と云処に至る。
舟をあがれば、馬にものらず、細脛のちからをためさんと、かちよりぞゆく。
・・・・・・やはたと云里を過れば、かまかいが原と云ひろき野あり・・・・・
・・・・・・筑波山むかふに高く、二峰並び立り。・・・・・まことに愛すべき山のすがたなりけらし。
・・・・・・日既に暮かかるほどに、利根川のほとりふさと言処につく。・・・・・
・・・・・・麓に 根本寺のさきの和尚、今は世をのがれて、此処におはしけると云を聞て、尋ね入て臥ぬ。」

この鹿島には根本寺の仏頂禅師から誘われて月見に訪れたのです。

東京深川(隅田川沿い)からは小名木川(水路)を通って荒川へ出て、そこから新川(水路)を通って行徳に出ました。
行徳は当時は塩の産地でもありました。

ここから江戸川を関宿(千葉県、茨城県、埼玉県の境)まで遡れば舟でも利根川に入れますが相当に遠回りになります。
このため(葛飾)八幡から鎌ヶ谷、白井を通って木下(きおろし)・布佐までの木下街道を徒歩で行ったようです。(約21
~22km?)

布佐から利根川を舟で下って鹿島まで行ったことがわかりますが、当時の鹿島参りはこのようなルートが普通だったのでしょう。

大儀寺2

さて芭蕉は鹿島へは根本寺の住職をしていた仏頂和尚を訪ねて月見をして歌を読んだのですが、この根本寺は鹿島神宮の近くにあり前に訪れました。(記事はこちら

「麓に 根本寺のさきの和尚、今は世をのがれて、此処におはしけると云を聞て、尋ね入て臥ぬ。
すこぶる人をして深省を発せしむと吟じけん、しばらく清浄の心をうるに似たり。
暁の空いささかはれ間ありけるを、和尚おこし驚し侍れば、人々起出ぬ。
月の光、雨の音、只あはれなるけしきのみむねにみちて、いふべきことの葉もなし。
はるばると月見に来たるかひなきこそ、ほいなきわざなれ。」

この仏頂和尚のことを芭蕉は禅の師と仰いでいたのですが、この時はすでに根本寺から離れて山内の小庵に移っていたとあります。
この小庵の場所が今回紹介する鉾田市(旧太陽村)阿玉にある大儀寺です。

地図を見るとかなり離れています。
その当時(貞享4年(1687)8月)も北浦にも舟運が盛んに行なわれており、水戸方面からも鉾田経由でこの北浦にも多くの舟が行き来していたものと思います。
舟ならそれほど遠い事もなかったのかもしれません。

しかし、かなり離れた山里で、月見とは言っても生憎の雨。どんな思いだったのでしょう。

「月はやし梢は雨を持ながら」 



大儀寺へは北浦から山道を上って行く道があり、昔は歩いてこちらから寺に行ったようですが、車ではこの道を通ることは少し無理なようです。

北浦に沿って走る18号線から太平洋側の汲上方面に走る道路入口に寺の案内看板があり、そのまま進むと寺の北側に入口と駐車場があります。

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寺の南側の道路に寺の門柱と階段があります。

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その道路はこんな山道ですので車での侵入は無理でしょう。
ひっそりとした寺でまわりは竹林です。

P7170059s.jpg

山門には「宝光山大儀寺」とあります。

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緑が美しいです。

P7170063s.jpg

山百合が咲いています。
山門の隣り外側には「金刀毘羅宮社」とあります。
北浦の舟の安全を祈願して置かれたのでしょうか。

明日にもう少し続きます。




鉾田 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2015/07/21 20:54
コメント
こんばんは
う~ん
なんてステキなんでしょう!!
私 居ながらにして 毎日 見られて
地図音痴だし 方向も音痴だし
地図が書いてあるから
そうなんだぁ
あっちの方なんだな
っとか 考えております
ちょっと遠いので行かれませんが
楽しみに見させてもらいます
よろしくお願いします
ヒロちゃん7 さん
こんばんは。

このお寺も芭蕉の「鹿島紀行」と合わせて見ていくとなかなか素敵なところに思えます。
確かに遠くて訪れるのも大変ですが、全国の俳人には知られたところなのかもしれません。
仏頂禅師も、いままで根本寺のすぐ近くで隠居していたのかとばかり思っていました。
一般には意外に知られていないようです。
またお越しください。
コメントありがとうございました。

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