薬師堂宝蔵院(武与釜)

 鹿島灘の海岸沿いに鹿島七釜と呼ばれる場所が残されていると先日書きました。
ほとんどが鉾田市ですがその5つが旧大洋村にあります。

この塩釜で作られた塩が汲上(くみあげ)に集積され塩の道を通って行方、小川、府中など西に運ばれたのでしょう。
汲上の地名も塩汲みから来ているのでしょう。

武与釜

上の地図は国土地理院の電子国土Web の地図です。
鹿島灘沿いに「別所釜」「町山」「武与釜」「上沢」などの集落が点在します。
砂浜のある別所釜は「汲上別所釜海水浴場」がありサーファーで賑わっています。

国道51号線から各集落を蜘蛛の巣のように細い道が走っています。
集落はみな海面よりかなり高く、海岸へは急な下り道になっています。

この地図を眺めていて少し気になる地名が目につきました。

汲上のところに「汲上上宿」「汲川下宿」という地名となっています。
一瞬地図の間違いかと思いました。「汲川下宿」が「汲上下宿」ではないかと思ったのです。
でもこれはあっているようです。

江戸時代に水戸から鹿島神宮、息栖神社、飯沼観音(銚子)を結ぶ街道が発達し、飯沼街道と言ったようです。
途中の宿場として「水戸-大貫宿-成田宿-子生宿-籾山(樅山)宿-汲川宿-飯島宿-鹿島宿-鳥栖宿-日川宿-東下宿-飯沼宿」という宿場があったようです。

この「汲川宿」がこの汲上あたりのようですので汲川上宿、汲川下宿とあったものが、いつの間にか汲川上宿が「汲上」に変わったものなのでしょうか。
でも汲上というのには意味もあり名前もかなり昔からあるようですのでどうもこの名前のいきさつは気になりますがわかりません。

そのうちにわかるかもしれません。

前に吉田松陰が水戸から銚子に行ったルートが気になって記事にしたことがありました。(こちら

この松陰のたどったルートでは子生(こなじ)あたりからは街道ではなくこの海岸沿いの砂浜を歩いているようですので、当時から海岸沿いの砂浜も歩く人も多かったのかもしれません。

さて、今日は汲上の別所釜のすぐ南の武与釜にあった「薬師堂宝蔵院」を紹介します。

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国道51号線から狭い道を部落の方に入り突き当りを住宅街は右に曲がりますがそのまま狭い道を直進するとすぐに右に下りる階段があります。

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最初に載せた地図に「汲上観音」と共に今回の「薬師堂宝蔵院」の場所を追加して見ました。
飯沼街道は信仰の道のようです。
水戸から「子生弁天」「鹿島神宮」「息栖神社」「飯沼観音」と古くから信仰を集めていた神社が並んでいます。
このように見ていくとこれらの塩釜にある観音様などの意味もわかってくるかもしれません。

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この場所も案内も何もありませんが地区で信仰されてきた場所のようです。綺麗に整備されていました。
階段を下りた場所はぽっかり空いた広場に建物が3つ。
一つは多分地区の公民館か何かの集会にでも利用される建物でしょう。

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そして上の写真にある建物で、右の建物が「薬師堂宝蔵院」と額がかかっています。

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この宝蔵院の中には左手に小さな阿弥陀三尊(中尊:阿弥陀如来、両脇侍:観音菩薩・勢至菩薩正面?)が置かれ、正面の像は木像のようですがよくその姿が見えません。
気になりますが書かれた物が見つかりませんでした。

地元の図書館にでも行けば分かるのかもしれませんね。


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もう一つ小さな建物がありました。
こちらの小屋には何も書かれた額もありません。
小屋の手前には気になる石像がたくさん。
部落の人たちの子安講などの講が昔は行なわれてきた証でしょう。

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その建物の中にもこのような観音像が置かれていました。


鉾田 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2015/08/02 20:26
コメント
No title
始めまして、私は千葉で設計事務所しています飯島と申します。
この少し先にの飯沼街道沿いにある飯島村(出身地)飯島八幡神社の改修工事を致しております。
改修に当り神社の歴史等を調査しています。本殿の建築様式並びに彫刻等が素晴らしい建物です。
もしご興味があれば現地で意見交換が、できましたらと思いご連絡いたしました。よろしくお願いいたします。

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