騰波ノ江駅
取手から下館を結んでいる関東鉄道常総線に「騰波ノ江(とばのえ)駅」がある。
下妻と下館の中間で石岡から見ると筑波山の真西側の小さな駅である。
前から近くにったら寄って見たいと思っていた。

小さな駅で、一日の乗降客は数十人程度しかいない。

なぜ、ここに寄りたかったかというと昔この辺りには「鳥羽の淡海」という大きな湖が広がっていたからだ。
どんな風景だったのか?
小貝川が大きく膨らんで海のようになり、また鬼怒川との間にも大小の湖や沼が広がっていたようです。
常陸国風土記を編纂したと言われる高橋虫麻呂が筑波山から詠んだ歌がある。
草枕 旅の憂へを 慰もる 事もありやと
筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る
師付の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ
新治の 鳥羽の淡海も 秋風に 白波立ちぬ
筑波嶺の 良けくを見れば 長き日に
思ひ積み来し 憂へは止みぬ
これは師付の田居(志筑の田井)でも書いていて、筑波山から西に海のように白波の立つ「新治の鳥羽の淡海」の姿を想像するのですが今は恐らく田圃になっていたり、住宅となっていてその面影をたどるのは難しいのだろう。
しかし、やはり目で見てみなければならない。
今でもこの名前が残る「騰波ノ江駅」にやってきたのです。
恐らくこの辺りが昔の鳥羽の淡海の入口あたりになるのでしょう。
この辺りは大宝地区であり、江戸時代に大規模な干拓事業が行なわれたようだ。
その頃までは面影を残していたものと思うが、いまは「道の駅しもつま」周辺の一面の水田地帯がその面影として残るものかもしれない。

騰波ノ江駅に少し変わったものがありました。
トロッコ線が引かれています。
「とばのえ支線」と書かれています。
これは、常総線開業100周年事業の一環として前からあった農業用貨物の引込線跡を利用して、観光目的で作られたものです。
短い長さのようですが、2013年11月3日に「開通」し、第三土・日曜日に運行されます。
2人乗りトロッコ乗車体験ができますので恋人と乗って見るのも楽しい思い出ができそうです。

下妻と下館の中間で石岡から見ると筑波山の真西側の小さな駅である。
前から近くにったら寄って見たいと思っていた。

小さな駅で、一日の乗降客は数十人程度しかいない。

なぜ、ここに寄りたかったかというと昔この辺りには「鳥羽の淡海」という大きな湖が広がっていたからだ。
どんな風景だったのか?
小貝川が大きく膨らんで海のようになり、また鬼怒川との間にも大小の湖や沼が広がっていたようです。
常陸国風土記を編纂したと言われる高橋虫麻呂が筑波山から詠んだ歌がある。
草枕 旅の憂へを 慰もる 事もありやと
筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る
師付の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ
新治の 鳥羽の淡海も 秋風に 白波立ちぬ
筑波嶺の 良けくを見れば 長き日に
思ひ積み来し 憂へは止みぬ
これは師付の田居(志筑の田井)でも書いていて、筑波山から西に海のように白波の立つ「新治の鳥羽の淡海」の姿を想像するのですが今は恐らく田圃になっていたり、住宅となっていてその面影をたどるのは難しいのだろう。
しかし、やはり目で見てみなければならない。
今でもこの名前が残る「騰波ノ江駅」にやってきたのです。
恐らくこの辺りが昔の鳥羽の淡海の入口あたりになるのでしょう。
この辺りは大宝地区であり、江戸時代に大規模な干拓事業が行なわれたようだ。
その頃までは面影を残していたものと思うが、いまは「道の駅しもつま」周辺の一面の水田地帯がその面影として残るものかもしれない。

騰波ノ江駅に少し変わったものがありました。
トロッコ線が引かれています。
「とばのえ支線」と書かれています。
これは、常総線開業100周年事業の一環として前からあった農業用貨物の引込線跡を利用して、観光目的で作られたものです。
短い長さのようですが、2013年11月3日に「開通」し、第三土・日曜日に運行されます。
2人乗りトロッコ乗車体験ができますので恋人と乗って見るのも楽しい思い出ができそうです。

「新治の鳥羽の淡海」、どこを言うのかな?と気になったことがありますが、騰波ノ江のことを差してたのですね。駅名の「騰波ノ江(とばの江)」というのもそこから付いたのでしょうか。。。
とばのえ支線、面白そうですね^^
観光目的にせよ何の意味で作られたのか、調べたくなります。
鉄子さんでしたか?・・・・
そういえば何年か前にこの駅の記事書いていましたよね。
その時はまだできていなかったみたいですね。
> とばのえ支線、面白そうですね^^
> 観光目的にせよ何の意味で作られたのか、調べたくなります。
調べて見てくださいね。
この日には駅の中にある鉄道模型Nゲージも無料開放されるらしいです。
面白そうですよ。