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関城跡(南北朝の国指定史跡)

 昨日紹介した常総線の「騰波ノ江駅」の西側(筑波山と反対側)に筑西市関舘という場所がある。

騰波ノ江駅からは一端北に行ってから線路を渡ってこなければならないが、ここにこんな古い南北朝時代の広大な城跡がある。

詳細に巡って見なければ遺構の詳細はわからないが、この関館の道路の両側に広がっているようだ。

特に何があるわけではないが専用の大きな駐車場も整備されている。

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通りの名前は「関城通り」。 写真の左側が駐車場(ただの広い空地)。

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駐車場の近くにあった案内地図。
関城通りは「現在地」から上下(北南)に走る。
現在地から東側にある赤印部分は「坑道の入口」(後ろの方に載せています)

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「関城跡」の石碑は南に行った地図の緑色の場所。

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関城跡(国指定史跡) 現地説明板:
(研究学園都市と民族文化ライン)
「関城はかって南北朝対立争乱の時代 小田城などとともに常陸国内宮方、南朝方の拠点として知られる史跡です。
 今、関館8.5ヘクタールの城には当時の土塁の一部が残り、関城と運命を共にして戦死した城主関宗祐、宗政父子の墓や、北朝方の武将で関城攻撃で戦死した結城直朝の墓があります。
 ここは東西南の三方が大宝沼にかこまれ、北に壕を掘り前面大宝沼のかなたに友軍の城、下妻城を望む要害の処であり、東の空に筑波の紫峰を望み、かつて南北両軍が血を流した古戦場とはどうしても思われないような景勝の地でもあります。
 この城には興国2年(1341)小田城から移った北畠親房が、同4年城の陥落前まで留まって、小田城で書いた日本史の本「神皇正統記」に筆を加えて完成したことでも有名です。」

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関宗祐の墓

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道路の西側はこんもりした林。
民家の間を通って奥に進む。

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小山の上に小さなお宮が一つ。
まわりは見事な竹林。

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奥に進めば城の遺構もわかるかもしれないが、進むことは断念。

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最初に示した案内図の東側の赤いマークの場所の「坑道跡」がある。

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坑道口の小山の上に昔の石碑が建っている。
いまは上ると崩れるので縄で中に入れないようにしている。

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これが坑道口。
日本三坑道の一つだと言う。
南朝方のこの関城を攻めた北朝方が掘ったものという。

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しかし城の中からもまた外に向かって坑道を掘ったという。
坑道も幅1mで高さが2mという結構大きなもの。枠もなく掘り進めたようだ。(途中で双方中止)


 さて、別冊で今日のランチ記事を更新しました。
石岡の路地で見つけたお寿司屋さん「大石屋」さんの寿司ランチ700円です。(別冊記事はこちら

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これからは別冊の更新をこちらでもお知らせします。


筑西・下妻・坂東 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/08/18 21:31
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