大宝城跡

 下妻駅のすぐ北側はかなり古い地域で「大宝八幡宮」が有名です。
先日説明した「騰波ノ江駅」と「下妻駅」の中間に「大宝駅」があります。

この大宝八幡宮のある地域に昔の「大宝城跡」と呼ばれる場所があり、国の史跡に指定されています。
この指定範囲は関城も含む範囲をまとめて指定してあるものだそうです。

大宝八幡宮の一之鳥居の場所にある森にこの史跡が森林として保存されています。
隣りには大宝幼稚園、大宝小学校があります。

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大宝八幡宮から南に延びた長い参道(350mくらい)の入り口鳥居と信号。

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このこんもりした森が城跡の遺構とされていますが、恐らく八幡宮の敷地辺り一帯にこの大宝(だいほう)城があったものと思われます。

この城も南北朝の頃の城(下妻氏)です。

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貞永元年(1232)下妻長政によって築かれ、南北朝時代に、城主下妻政泰は北畠親房に呼応して南朝方として挙兵した。

興国2年(1341)に北条城にいた北畠親房は昨日紹介した関城に移った。

しかし足利尊氏派の北朝勢(高師冬ら)により、関城との連絡も立たれ、興国4年(1343)に関城とともに落城した。

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南朝方の関東における主要な城は「常陸国関城」「常陸国真壁城」「常陸国大宝城」「常陸国伊佐城」「常陸国中郡城」「下野国西明寺城」などがあります。

そういえば真壁城も広大な空き地が国の指定史跡となり整備が進んでいた。

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さて小田城であるが、小田治久が北朝方に離反したことにより、北畠親房が関城に、春日顕国がこの大宝城に移った。
この当時この近くには「大宝沼」という大きな沼があった。
この沼の北側の端に関城があり、南橋にこの大宝城があったようだ。

そのため沼で片側を守ることができ、かなり守るに堅い城だった。

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まあそれにしても天皇家が2つに分かれてしまった南北朝時代だが、この常陸や下野の武将たちも有利となれば乗り換えたりしたのでどちらがどちらだったのかなどと単純に考えられない。

全く複雑だ。


筑西・下妻・坂東 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/08/19 20:46
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