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大宝八幡宮(3)

 今日は朝からパソコンの前で1日過ごしてしまった。
午前中は今までのブログのまとめで四苦八苦したが、こんな調子では何時まとまるかわからない。

午後からはちょっとパソコンでのアルバイトが入ってきた。
半日一生懸命やって見たが、これは年寄りのやる仕事ではない。

肩ばかり凝って、目は焦点が段々合わなくなってきた。

まだやっと四分の一しか終わらなかった。
まあ1週間くらい時間があるので手の空いた時にやっていこう。

アメリカに行っている息子から電話がきた。
今月末に任期を終えて帰ってくる。

まあ仕事場が名古屋だからこちらには9月半ばの休みまで来ないと・・・・。

向こうに行くと結構向こうが良くなるらしい。
またそのうちに行ってしまうのかもしれない。

まあ親が英語大嫌いなのに、子どもたちは何とか得意としているようだ。

そして、親元からは段々遠くなる。
世界も結構狭くなってきたものだ。

これも仕方のないこと。

まあこちらは残り少なくなってきたので、あとどこまで好きなことをやっていけるだろうか?

最近知り合いにガンの話も増えた。

今日も家内は「いわき」に行っていていない。

先ほど電話があり、向こうの方にいる知り合いがガンで明日見舞いに行くので近くの温泉にでも泊まるとか。

いわきの近くにも温泉施設があり泊まったりすることも可能だとか。

いわきに毎週行くのも、後1年くらい続けるのだろう。

私は、今日も疲れて時間が無くなってしまった。

大宝八幡宮の写真を載せて誤魔化すことにしよう。

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境内社として「大宝天満宮」があった。
そして近くに太宰府天満宮の梅の木が奉納として植えられていた。

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こちらは拝殿を横から見たもの。
こちらに「若宮八幡宮」が置かれていた。

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若宮八幡宮は神社のHPには「源頼朝が奥州征伐を達成したのを期に、下河辺行平に命じ文治五年(1189)に勧請させた八幡宮。若宮様は第十六代仁徳天皇のことで、その父親が第十五代応神天皇八幡様です。御本殿には第十四代仲哀天皇をお祀りしているので、親・子・孫と三代続けてお祀りしていることになります。」
と書かれていた。

わが石岡にも若宮八幡宮がある。
かなり古いがよくわかっていない。

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この若宮八幡様のお宮の後ろに馬が祀られていた。

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こちらが本殿。

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この本殿は国の有形文化財だ。

神社のHPには
「大宝元年(701)、藤原時忠公が筑紫の宇佐神宮を勧請創建されました。現在の建物は天正五年(1577)、下妻城主多賀谷尊経(重経)が再建されたもの。再建当時の棟札墨書銘と擬宝珠刻銘も現存しており、貴重な史料となっております。建物は三間社流造で建ち上がりも高く、柱も太くてどっしりした重みを見せておりますが、それに比べて組物は小柄で複雑に組み合わされ、桃山時代の地方色が濃く表れています。屋根は萱葺きであったが、昭和40年に茅葺形銅板葺に改められました。天正期の地方的建築の有様を示す貴重な文化財として、国の重要文化財に指定されています。 」
と書かれている。


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「神楽殿」
春と秋の例祭で、十二座神楽が奉納され、例祭と節分祭で、豆・餅・菓子などが撒かれる。
石岡の総社も似たようなことを行なっている。

まだ少し残ってしまったが、またの機会に載せることにしよう。


筑西・下妻・坂東 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/08/22 22:16
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