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石岡府中のお稲荷様(七稲荷)

一昨日のギター文化館のコンサートの様子を昨日紹介しましたが、下記のブログでも紹介されていました。皆さん結構頑張っていますね。

1)okayan music雑記帳(ギター)
2)ギター文化館DIARY(木下館長さんブログ

 さて今日は、石岡市内のお宮様の話です。
ここ石岡(府中)の昔の地図が残されています。石岡の市史などでも紹介されているもので天保期(1830-1843年)に書かれた手書きの府中町絵図(鈴木彬夫氏所蔵)というものです。

この地図で特徴的なことは、今の旧355号線(水戸街道)が中町から香丸町を通って泉町の方に曲がる突き当りに千手院の大きな寺院があり、国分寺はその横に小さく描かれていることである。
今は、この通りは笠間の方に続いているが、当時はこの千手院を迂回していたようである。
今の国分寺の境内の中に、この千手院の山門が残されているだけで、いつの間にか千手院は無くなってしまった。

 さて、今日の話はこの地図に多くの稲荷神社が書かれていることなのです。
稲荷神社が10か所も府中の町の中にあったのです。

 稲荷神社は府中七稲荷といわれていた記録があり、この七稲荷のうち、仲之内町の福徳稲荷,金丸町の鈴宮稲荷をはじめ,青木町の青木稲荷,守木町の天之宮稲荷,守横町の宇迦魂稲荷は絵図に示された位置に現存しています。
inariaoki.jpg 青木稲荷

inarifukutoku.jpg 隅之宮福徳稲荷

inarisuzumiya.jpg 鈴宮(すずのみや)稲荷

inariugatama.jpg 宇迦魂(うがのみたま)稲荷


しかし,中町の稲荷は金刀比羅宮に合祀され,香丸町の稲荷は橋本旅館(ホテル橋本楼)の南端にあったそうですが総社宮に合祀されたといいます。

これらの稲荷の多くは「正一位」と称していますが、正一位は最高位で、正一位の伏見稲荷大社より勧請を受けた稲荷神社はほとんどがこの正一位を名乗っているといいます。

このように、石岡の稲荷神社は、400年ほどの歴史があり、石岡の旧町ごとに存在したのです。
これらは、各町住民の結束を図る働きをしたものと考えられます。
このようなこともお祭りの年番制などの結束にも影響を与えているのかもしれません。
しかし、あまりこれらを研究されているようには見えません。

昔、中町本陣の隣りにあったとされる「天王社」などの歴史や祭礼などと市民のかかわりなどをもう少し研究すべきではないかと思ったりしています。
 

石岡市内 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/03/08 20:18
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