大生天満宮(3)

 大生天満宮の境内に昔の謂れを彫ったという石が置かれています。

 
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「刀研石(かたなとぎいし)」と書かれた説明板が置かれています。

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この石碑は、もともとこの天満宮の東北700m離れた、昔の表参道の入口「鳥居所」に置かれていたそうです。
そして「刀研石」と呼ばれ、この石で刀を研ぐと心願が成就すると言われたと書かれています。

この石碑が置かれたのがいつなのか。 この説明には「延長7年2月25日」の日が書かれていますが、この延長7年は西暦929年で、この大生郷に菅原神社を移した年といわれています。

そして石碑の彫られていた内容を明治44年に一部を解読したと言うの説明板に書かれたものです。

それは、この天満宮が真壁の羽鳥からこの地に移された経緯が書かれています。

常陸羽鳥菅原神社之移
  菅原三郎景行景兼茂景茂等相共移
  従(筑波・霊地)下総豊田郡大生郷
  常陸下総菅原神社
   為菅原道真郷之菩薩供養也
  常陸介菅原景行所建也
     菅原三郎景行五十四才也
     菅原兼茂四十七才也
     菅原景茂三十才也
  菅公墓地 移従羽鳥
  定菅原景行常陸羽鳥之霊地墳墓也
  延長七年二月二十五日

菅原道真の三男といわれている「菅原景行(かげつら)」は常陸の介として東国にやってきた。
そして、東国では「平良兼」がこの豊田郡の石下町あたりに屋敷を持っていました。

道真の大宰府左遷にともなって、三男菅原景行も駿河に左遷されていたのですが、放免されて今度は常陸の介に任命されて東国にやってきました。

この地では平良兼が面倒を見ていたようで、比較的近い真壁に菅原景行は館を建てます。

そして延長4年(926年)に景行は良兼の力を借りてこの羽鳥の地に「菅原天満宮」を建て、この羽鳥天神塚古墳に道真の遺骨を埋葬したのです。

これが全国の天満宮の最初だと言われています。

その菅原神社(天満宮)を3年後の929年に下総国(豊田郡)大生郷に移したのがこの大生天満宮の始まりとされています。
(昔は下総国だったようです)

移した理由は? まずは墓を築き、それから最も良い場所を探していたと言うのが考えられることですが、正確なことはわかりません。
大生郷という名前からして何かがあるのでしょう。

以前、元鹿嶋といわれる「大生神社」を紹介しましたが、大生と言う名前には「多氏」という古い皇室系民族が関係していそうです。

何しろ1000年以上前のことになるとあまり残されているものが少なく、書きかえられたり、推測が多く加えられているのではっきりしたことが分かりません。


羽鳥地区の古墳についてはこちらの記事を参照してください。
(→ 真壁散歩(9)-羽鳥天神塚古墳

1000年も昔の地形を考えると、この大生郷もまわりは大きな湖に囲まれたような場所だったのかもしれません。

筑波山を見るのにも良い風光明美な土地だったのではないかと思います。

筑西・下妻・坂東 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/08/28 22:00
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