極楽寺跡(1)

 筑波の手前の山「宝篋(ほうきょう)山」は最近ハイキングとして人気となり、気軽に歩ける山として歩く人が増えている。

北条大池の方から登るコースが一般的のようだが、昔麓にあった大寺院「極楽寺」の跡を通るコースも歩く人が多くなった。

先日近くを通ったのでこの極楽寺コースに入口「小田休憩所」に行ってみた。
天気の良い日であったせいか駐車場にはすでに40~50台くらい車が停まっていた。

私は山に登るつもりはなかったので800~900m先にある極楽寺跡を目指した。

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天気も良く、稲も黄金色に輝き、稲刈りも始まっていた。(9月5日)

先に頂上に「宝篋印塔」が立つ宝篋山が見える。
その山の麓が今から760年ほど前の鎌倉時代に、奈良の西大寺から高僧「忍性」がここに来て、約10年間過ごし、東国の布教を行なった場所だ。


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この三村山極楽寺はかなり大きな寺で、「三村山清冷院極楽寺」といい、尼寺などを含めたくさんの堂宇があったと伝えられている。

田圃の脇の道を進むと隠れるようにして「石造地蔵菩薩立像」が置かれていた。

登山者は気にしてみていく人もあまりいないようだ。

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この石の地蔵さんだが、これは忍性のいる頃に造られたようだ。
奈良からこれらの作業できる人も連れて来ていたようです。
(茨城県指定文化財)

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忍性は奈良に北山十八間戸というライ病患者の収容所を建てたとして知られ、その他にも四箇院(敬田院:仏法修行の道場、施薬院:病院に薬を投与する場所、療病院:病気の療養所、悲田院:老人や身寄りのない人を保護)を建てている。

ここにもおなじような建物を建てたに違いない。
これが極楽寺と言われる場所なのだろう。

この三村山にやってきたのはこの地に鎌倉御家人であった小田氏がいたからに他ならない。


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この極楽寺は小田氏の祖「八田知家」が堂宇を整備したらしいが、建長4年(1252)にここにやってきた忍性はいる間(10年間)に、ここの堂宇を一新したと言う。

忍性は戒律を重んじる律宗であったが、病人たちも分け隔てなく極楽往生をこの地で願っていたのだろうか。

以前行方の小幡観音寺でも忍性の布教の跡を見た。(記事は:こちら

この山(宝篋山)の中腹には薬師堂などもあったようです。

つくば市北条 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/09/13 21:30
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