大桑神社(結城市)-阿波忌部(斎部)が伝えた養蚕の神
過去のブログ記事などをまとめていて、やはり含めておかなければならないのに訪れていないところなども少しずつ出かけています。
この結城市にある大桑神社もその一つです。
この神社は結城市の小森という場所にあります。
鬼怒川に近いため今回この川の上の橋も走ったのですが、もうすでに水量は普段に戻っていました。
しかし広い河原の草木は皆茶色に染まっていました。
何度も今までにもこの近くでは洪水があったようです。
今回紹介する大桑神社も最初は阿波忌部(斎部)(あわいんべ)が大水河原に建てたそうです。
しかし、この大水河原の地名も何時ついたものかは知りませんが、文明11年(1479)に洪水で流されてしまい、現在の地(結城市小森」に移ったと伝わっています。
今の住所ではこの大水河原という地名は出てきませんが、小森の1kmほど北の旧国道50号線の辺りで、田川という川が近くを流れてます。
昔はこの辺りも川が氾濫したりしたのでしょう。
小森の名の由来も「蚕守」からきたという説が有力ですが、中世に結城氏がこの辺りに兵を篭らせたことから「篭(こもり)」となったともいわれます。
この辺り一帯は大昔から「大桑郷(おおくわのさと)」と呼ばれていたようです。
しかし鬼怒川が衣川、小貝川が蚕飼川の名前から来ているとする考え方がありますので、この神社の創建などを考えると養蚕に関係が深いと考えてもよさそうです。

街道のすぐ横に神社があります。
ここが阿波斎部が養蚕を伝えた神社かと思うと少し物足りない気はします。
境内には樹齢350年以上と言われる欅の大木があります。(市指定天然記念物)

この神社が何時頃創建されたかがはっきりしません。
祭神は稚産霊尊(わかむすびのみこと)で、火の神と土の神の間に生まれた子で、頭に蚕と桑が,臍(へそ)の中に五穀が生じたということで養蚕と農業の神とされます。
結城と言えば「結城紬」が有名ですが、この養蚕が盛んであったことが紬産業につながっていったのでしょう。



立派な社殿の裏に覆われたように本殿があります。
少し囲われてしまって良く見えません。
この本殿は享保7年(1722)に建てられたもので今は銅版葺き屋根ですが当初は桧皮葺だったそうです。1848年に銅板葺に変えられた記録が残っています。
彫刻は東西二面が中国の故事、北面は日本神話(天岩戸)を題材とした彫刻が施されています。
本殿は市指定文化財です。
この結城市にある大桑神社もその一つです。
この神社は結城市の小森という場所にあります。
鬼怒川に近いため今回この川の上の橋も走ったのですが、もうすでに水量は普段に戻っていました。
しかし広い河原の草木は皆茶色に染まっていました。
何度も今までにもこの近くでは洪水があったようです。
今回紹介する大桑神社も最初は阿波忌部(斎部)(あわいんべ)が大水河原に建てたそうです。
しかし、この大水河原の地名も何時ついたものかは知りませんが、文明11年(1479)に洪水で流されてしまい、現在の地(結城市小森」に移ったと伝わっています。
今の住所ではこの大水河原という地名は出てきませんが、小森の1kmほど北の旧国道50号線の辺りで、田川という川が近くを流れてます。
昔はこの辺りも川が氾濫したりしたのでしょう。
小森の名の由来も「蚕守」からきたという説が有力ですが、中世に結城氏がこの辺りに兵を篭らせたことから「篭(こもり)」となったともいわれます。
この辺り一帯は大昔から「大桑郷(おおくわのさと)」と呼ばれていたようです。
しかし鬼怒川が衣川、小貝川が蚕飼川の名前から来ているとする考え方がありますので、この神社の創建などを考えると養蚕に関係が深いと考えてもよさそうです。

街道のすぐ横に神社があります。
ここが阿波斎部が養蚕を伝えた神社かと思うと少し物足りない気はします。
境内には樹齢350年以上と言われる欅の大木があります。(市指定天然記念物)

この神社が何時頃創建されたかがはっきりしません。
祭神は稚産霊尊(わかむすびのみこと)で、火の神と土の神の間に生まれた子で、頭に蚕と桑が,臍(へそ)の中に五穀が生じたということで養蚕と農業の神とされます。
結城と言えば「結城紬」が有名ですが、この養蚕が盛んであったことが紬産業につながっていったのでしょう。



立派な社殿の裏に覆われたように本殿があります。
少し囲われてしまって良く見えません。
この本殿は享保7年(1722)に建てられたもので今は銅版葺き屋根ですが当初は桧皮葺だったそうです。1848年に銅板葺に変えられた記録が残っています。
彫刻は東西二面が中国の故事、北面は日本神話(天岩戸)を題材とした彫刻が施されています。
本殿は市指定文化財です。
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