祭り最終日
今日が「石岡のおまつり」の最終日。
今日も天気がよく3日間全く降られなかったのは珍しい。
また秋分の日にも重なり長い連休となった。
人出もやはり多くなったようだ。
またいくつか今までにない催しも目についた。
新しい輝く町「石岡」になってほしいが・・・・
陣屋門や市庁舎建設などでもめているのは実にみっともない。
必要なものを壊して新しいものを作るのではなく、よいところを残し守らなければならないところは守らなければならない。
それが子孫たちへの贈り物になるだろう。
祭りなどどんどん進化をしていくのも当たり前。
しかし何を守るのか? がはっきりしていない。
ただそこには、一生懸命に頑張る人たちがいて、またこれを楽しみにして喜ぶ人がいてこの祭りが続いているのも確かに違いない。
今日は知人(新しく家族、親族になる)を案内して少しだが祭り見物をしてきた。

今日は最終日で年番となった町(今年は仲之内町)から神様が総社宮にお帰りになる日。
午後2時に年番の引き継ぎをした後に神輿、ささら、山車などが一斉に動き出す。
神輿は旧町内を回って午後4時に総社に戻る。
しかし祭りは夜9時近くまで続く。
今日2時を少し過ぎたころに御仮屋の前に行った。
幌獅子パレードがあるらしく市内各地の幌獅子が八間通り(御幸通り)に集合。
こんなにたくさんいたのかと思うくらいの数が集まった。
なかなか豪華である。





この幌馬車の中には地区の子供たちがいっぱい。
皆祭り衣装を着ている。
小さな子供は乗って外の景色を見ている。
少し大きくなると太鼓などを中でたたくようになる。
もう少し大きくなって前の獅子頭を操れるようになる。
女の子たちは化粧をし、髪を整えおそろいの衣装を着て掛け声や踊りなども披露する。
山車の舞台の上で、笛太鼓を演奏をしたり、キツネ、おかめ、ひょっとこの面をかぶって石岡囃子の演技をする。
これも伝統として受け継がれていく。


さあこの子たちはおそろいの衣装でバッチリ存在感を示していました。
この子たちは将来どのようになるのでしょうか。
それにしても豪華な衣装でした。
祭りの記事は書かないつもりでしたが、他のことを書くのも気が乗りません。
外から笛太鼓の音色が聞こえてくると私のような地域に眠る歴史などを調べたりする気力も失せます。
今日も天気がよく3日間全く降られなかったのは珍しい。
また秋分の日にも重なり長い連休となった。
人出もやはり多くなったようだ。
またいくつか今までにない催しも目についた。
新しい輝く町「石岡」になってほしいが・・・・
陣屋門や市庁舎建設などでもめているのは実にみっともない。
必要なものを壊して新しいものを作るのではなく、よいところを残し守らなければならないところは守らなければならない。
それが子孫たちへの贈り物になるだろう。
祭りなどどんどん進化をしていくのも当たり前。
しかし何を守るのか? がはっきりしていない。
ただそこには、一生懸命に頑張る人たちがいて、またこれを楽しみにして喜ぶ人がいてこの祭りが続いているのも確かに違いない。
今日は知人(新しく家族、親族になる)を案内して少しだが祭り見物をしてきた。

今日は最終日で年番となった町(今年は仲之内町)から神様が総社宮にお帰りになる日。
午後2時に年番の引き継ぎをした後に神輿、ささら、山車などが一斉に動き出す。
神輿は旧町内を回って午後4時に総社に戻る。
しかし祭りは夜9時近くまで続く。
今日2時を少し過ぎたころに御仮屋の前に行った。
幌獅子パレードがあるらしく市内各地の幌獅子が八間通り(御幸通り)に集合。
こんなにたくさんいたのかと思うくらいの数が集まった。
なかなか豪華である。





この幌馬車の中には地区の子供たちがいっぱい。
皆祭り衣装を着ている。
小さな子供は乗って外の景色を見ている。
少し大きくなると太鼓などを中でたたくようになる。
もう少し大きくなって前の獅子頭を操れるようになる。
女の子たちは化粧をし、髪を整えおそろいの衣装を着て掛け声や踊りなども披露する。
山車の舞台の上で、笛太鼓を演奏をしたり、キツネ、おかめ、ひょっとこの面をかぶって石岡囃子の演技をする。
これも伝統として受け継がれていく。


さあこの子たちはおそろいの衣装でバッチリ存在感を示していました。
この子たちは将来どのようになるのでしょうか。
それにしても豪華な衣装でした。
祭りの記事は書かないつもりでしたが、他のことを書くのも気が乗りません。
外から笛太鼓の音色が聞こえてくると私のような地域に眠る歴史などを調べたりする気力も失せます。
最終日と言うのは何十年ぶりでしょうか。
3日目の寂しさがなんとも言えない。
昼から富田の会所を出発したささらの追っかけやってました。路上で見ていた2歳くらいの女の子が満面笑みで「ささら!」と叫んでいて、石岡で生まれるとこうなるしかない。とつくづく。その後お仮屋の辺りにいましたので、多分すれ違ってますね。
御神輿の帰還を見守り、1930頃までカギヤ前で。おっしゃい隊と守横のキツネ撮りまくり、そそくさと引き上げ二時間。帰宅してみればまさに夢の時間。
ところで昨日気付いたのですが、巫女舞の子達はオリンピックイヤーの生まれなのですね。そして、子ー辰ー申
です。水に関するトライアングルだそうで、お神楽も猿田彦で始まる。神話や古代歴がちゃんと編み込まれていると知り、改めて驚きました。
この年に女の子二人そろえ続けるのもたいへんでしょうに。来年は子の生まれの子達ですね。多分大丈夫?
それではまた。
丁度、御仮殿から神輿と幌獅子のパレードが出発する様子を見届けていましたので、すれ違っていたかもしれませんね^^;(ちなみに私、鳥居のそばにいました)
石岡の活気と伝統を守るのはやはり、この石岡まつりそのものかもしれないと感じるのは私だけでしょうか。
歴史の街と言われているように、Romanさんが言われているのと被りますが「守るべきもの」と「残すべきもの」をはっきりさせておく必要があるのかもしれませんね。
おっしゃる通りと思います。
陣屋門はだいぶガッカリ。
新瓦、新材使わなければいけないのはわかりますし、雨水からの保護の為、土台を作るのも理解できますが、もう少しやりようが?とは思いました。10年たって、あの新材の感じはどうなるでしょう?
旧駅舎も完全取り壊しとか?
せめてあの額位はどこかに掲げて欲しいですね?
日帰りでまた来られたのですか。
やはり思い出があり懐かしさが違うのでしょうね。
> 昼から富田の会所を出発したささらの追っかけやってました。
ささらの追っかけとはすごいですね。
他のものに目が奪われていると見失いますね。この独特の人形は興味深いですよ。
御仮屋の前などは人がいっぱいで、よく知った人でも探すのは苦労します。
ましてや丘をを知らないですから・・・・・・。
> ところで昨日気付いたのですが、巫女舞の子達はオリンピックイヤーの生まれなのですね。そして、子ー辰ー申
> です。水に関するトライアングルだそうで、お神楽も猿田彦で始まる。神話や古代歴がちゃんと編み込まれていると知り、改めて驚きました。
そうですか、始めて伺いました。4年間務めるのですか。それも大変ですね。
こんなところにもちゃんと決まりがあるのですね。
大変でしょうが、伝統を守り続けてほしいものです。
人ごみでまるでわからず、一緒にいた人さえ見事にはぐれ、携帯で場所を聞いて近くにいてもなをわからずでした。
> 丁度、御仮殿から神輿と幌獅子のパレードが出発する様子を見届けていましたので、すれ違っていたかもしれませんね^^;(ちなみに私、鳥居のそばにいました)
多分来られているのではと思っていましたが・・・
人ごみでまるでわからず、一緒にいた人さえ見事にはぐれ、携帯で場所を聞いて近くにいてもまだわからずでした。
私はもう少し駅より今泉家具屋さんの辺りでしたよ。(笑)
>
> 石岡の活気と伝統を守るのはやはり、この石岡まつりそのものかもしれないと感じるのは私だけでしょうか。
> 歴史の街と言われているように、Romanさんが言われているのと被りますが「守るべきもの」と「残すべきもの」をはっきりさせておく必要があるのかもしれませんね。
なかなか難しいですね。仲之内町は所帯が少なく年番も大変です。数年前から次の年番町がサポートする体制を作ったのですが今年の祭りを見ていると、旧町(昔の市街地)の山車や幌獅子以外の周辺地域のものが多く感じました。
遠い場所からも皆山車や幌を押して熱心です。
人口減少問題もからめて制度も見直すことも必要がありそうに思います。(伝統も大切ですが・・・)
> 陣屋門はだいぶガッカリ。
> 新瓦、新材使わなければいけないのはわかりますし、雨水からの保護の為、土台を作るのも理解できますが、もう少しやりようが?とは思いました。10年たって、あの新材の感じはどうなるでしょう?
やはり昔の門をイメージしていると違和感満載ですよね。
基礎もかなり熱心に作っていました(もちろんコストもかかっています)
> 旧駅舎も完全取り壊しとか?
> せめてあの額位はどこかに掲げて欲しいですね?
額はあるそうですよ。竹千代さんのブログに紹介されていました。
http://mitoaoi.blog50.fc2.com/blog-entry-2480.html
寺関係の事もあったので、連チャンとなりました。
今回もまた思ったのは、この祭もオンリーワンで、こんなにお獅子がぞろぞろ出てくるのは確かにここだけ。
このオンリーワンをもっと訴求すれば良いのにな、と。
ぎおん、博多、浅草と張り合っても消耗するだけですから、いっそ世界に!昨日はGoPro持ったメディアっぽい白人さんをお仮屋付近で見かけましたのでそろそろ火がつくかもしれませんね。そうなると普段の日でもリピートしてもらえる名物がもっとあれば良いが?とかとか。
渡辺直美ちゃんも来てたようですね。彼女もキャラの立ったアイコン、御活躍を祈ります。
> 今回もまた思ったのは、この祭もオンリーワンで、こんなにお獅子がぞろぞろ出てくるのは確かにここだけ。
各地を見ているとこの幌獅子は独特です。
石岡の獅子の歴史にもごまかしがありそうですのでこの辺りはきちんと検証してほしいものです。
(土橋の古いお獅子は確かでも、その前に石岡に伝えた人がいたことが始まりのようです)
> このオンリーワンをもっと訴求すれば良いのにな、と。
山車も張りあうのではなく江戸古式山車を継承していることは特筆すべきことです。
江戸が神輿に変わっても江戸では人形師がいましたから、その人たちの作った人形を買ったの確かですね。
> 渡辺直美ちゃんも来てたようですね。彼女もキャラの立ったアイコン、御活躍を祈ります。
今年の祭りを見ていたら少し火が付くかもしれないと言う気がしました。
神田祭はそれなりに山車復活してるのですね。お獅子も
いる。
関東だと川越、高崎、石岡が山車に関してはBIG3で良いような?三大祭言いたいなら、山車のと付ければ
明確に?
さて、私の好きなお祭り話2chネタを貼らせていただきます。こうなっちゃう白人さん達多そうな?
http://blog.livedoor.jp/namida2ch/archives/41357403.html
近くなら 絶対行っております
まあ 写真がよく撮れておりますので
しっかり楽しませてもらいました
どうぞ これからも 続けて書いてください
都電(路面電車)はケーブルが葉敷いていたから山車は無理だったのでしょうが復活してもおかしくないですね。
> 関東だと川越、高崎、石岡が山車に関してはBIG3で良いような?三大祭言いたいなら、山車のと付ければ
> 明確に?
それぞれの地域で祭りの呼び方も違いますね。
佐原の大祭が山車祭りと呼んでいましたので、佐原、川越、石岡を三大江戸古式山車祭りというような呼び方で良いと思っています。
川越も最近は歴史については古いとは言わなくなったようです。
歴史がないと・・・。
石岡も川越も同じなのです。
明治になって復活。復活というよりは新しく今の形に創ったと思います。
石岡は川越をまねて作ったと時代的には考えられます。
こんな事を言うとすぐに怒鳴られそうですけれど・・・。
これだけの規模になったのだから基礎はしっかりしなければそのうちほころびます。
> 近くなら 絶対行っております
ただ楽しむことでも良いのですが、あまりの人出に少し疲れます。
行かないつもりでしたが歩いて行けるのでやはり行くべきでしょうね。
> まあ 写真がよく撮れておりますので
> しっかり楽しませてもらいました
ありがとうございます。
コメントありがとうございました。
でもまあ、私が知ってる限りで50年は経過してますので伝統といえば言えるほどにはなってますね。それはそれで素晴らしく、それを踏まえて対外価値をどう高めるか?
一方残せば良いものを無くしたこと!これをどう考えるか?これからどうするか?
陣屋門も結構だけど石岡小の木造校舎の一部でも残しておいてくれたなら、私のような離脱組の人生も少しは違ったかもしれません。
そうなのです。でもそれでよいのだと納得してくれない人がたくさんおられる・・・・。
そろそろつくば、土浦、石岡、笠間、水戸など大きな領域でとらえて、自分たちの置かれている立場を見る目が必要になっていると感じています。
文化的価値のあるものをどう保存し価値を高めるか。
新しい価値をどう付加していくか。
このお祭りも年3日だけのもので終わってはもったいないですよ。
獅子だって展示する場所もない。
行徳様は海外の経験も豊富ですので古い町での文化財保護意識もよくご存じだと思います。
石岡には何かが少し足りないと言う気がしてしまいます。
せっかく良い歴史や文化があるのですから。
まあ陣屋門は価値としては大分落ちてしまったけど、それ以外にないの? と言いたくなる。
今回の祭りが終わった夜にヤクザ事件が常陽銀行前であったようです。
イメージも大分払拭してきていたので残念なことです。
外人は私の元いた会社も最近急増です。
もしこの祭りのことがもっと知られていれば皆やってくると思います。
まだまだ認知されているとは言えないようです。
母方の祖母(顔知りません)の故郷らしく不思議な感じがします。
明治になって祭復活した、て言うのは維新後言わば新政府の被占領地扱いとなったことに対する当たり障りのない自己主張、地域の紐帯の作り直しなど、何かそういう意図もあったのかもしれませんね?川越も松平だったようだし、何か通底しているのかもと、休みの徒然に思いました。
ホームページでしょうか?
この佐原と石岡の山車の最大の違いは台座部分が回転するかしないかです。
佐原は回転しません。その代わり長い木の棒を使ってテコのように車軸の下に入れて持ち上げながら山車ごと回転させます。
これが逆に醍醐味でのの字回しで見物の名物です。
石岡も信号のところで台を回転させていましたが今では危険であまり見かけませんね。
佐原の祭りは古く江戸時代の人形もあるようです。
山車も昔のものもあると書かれていますが、実際は山車に掲げる名札のような木札を残して山車は造り変えています。
川越も観客はすごく増えているようですが100万人などというのはどうもまやかしのようです。
私が知っている頃の川越は何もない都市だったのですから。
石岡もながしれてくれば川越くらいになりそうですね。
距離的にも同じくらい?
あとは食べ物を何とかしなければいけないのですが・・・・。
おっしゃる通りで、茨城全体を見てもB級すらろくにないのですね。
行徳地域も大したことはないのです。大手チェーン、フランチャイズはあらかたありますが、地元店は数も質も。とは言え30年超えのとんかつ、20年超えの中華に
加え新進気鋭もちらほらとは。
石岡の泉橋から坂を降りた所にある今は閉店した井筒屋さんは駄菓子屋+お好み焼き、焼きそばの店で二高生の溜まり場。焼きそばは私のソウルフードでした。
お祭りもテキ屋が激減し、地元店が頑張って埋めてますので、こういう中から新名物出てくると良いですね。
因みにお盆に寄った市内の珍来さん、麺もチャーハンも餃子も相変わらず美味しいですね。このレベルは当地にはありません。
朝日屋なき今、開いてれば飛び込みます。綺麗とは言えませんがそれがまた味のうちで^o^