光明寺(下妻)-柊道場

 下妻市小島にある親鸞が常陸国に来て最初の3年間を過ごした「小島草庵」跡を先日紹介しました。
この場所で布教をして多くの支持者を得たようですが、書かれた物がほとんどなく詳細は不明です。

小島草庵は稲田へ移った時に、この付近出身の弟子である蓮位坊に譲ったと言われています。
そしてこの草庵の場所には三月寺が建てられたとのようです。
この三月寺の名前は親鸞が3年目の最後の3ヶ月間ここに籠っていたことから名づけられたようですので、草庵そのもののをそう名付けたのかもしれません。

少し、近くで足跡が残っていそうなところを探しました。
すぐ近くの下妻の街の中に「西木山高月院光明寺」が親鸞との関係が深いことを知りました。

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下妻小学校の隣りにある比較的大きな寺です。
寺の入口の手前におおきな木があります。
この右側にあるのが親鸞が小島を去って稲田に移る時に植えたと言う菩提樹です。

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市指定文化財(天然記念物)「親鸞御手植の菩提樹」 推定樹齢700年以上

この樹は健保年間(1213~18)浄土真宗の開祖親鸞聖人が小島の草庵に三年間滞在し、伝道に努めていたが、稲田に去る際記念に植樹したものと伝えられ、聖人御遺跡巡拝者の間では有名な老樹である。
 歌人長塚節もしばしば当地を訪れており、菩提樹を詠んだ一首が傍らの歌碑にある。
  うつそみの人のためにと菩提樹を
      ここに植ゑけむ人の尊とさ
 平成2年3月建立 下妻市教育委員会

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門を入ってすぐ右手に
この寺を建てた親鸞御弟子「明空」が植えたと言う柊(ひいらぎ)の木があります。
またそこに「柊道場之碑」という石碑が建てられています。

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市指定文化財(天然記念物) 明空御手植の柊 推定樹齢 700年以上

光明寺開祖明空房は寺伝によれば 俗名三浦荒次郎義忠といい、親鸞の弟子となり、仏道に励んだ。明空はヒイラギを好み、境内に多く植えたので、光明寺は「柊道場」とも呼ばれた。この老樹は当時のものといわれている。傍に次の歌碑がある。
  われもまた心に造る罪科を
     名にあらわして 植うる一本  (明空)

平成二年三月 建立 下妻市教育委員会

さて何故明空は柊(ひいらぎ)が好きだったのでしょうか?
明空は元は武士だったようで三浦氏が北条氏に敗れ、おちのびる時に親鸞の話を聞いて弟子になったようです。

また、親鸞の六老僧の一人といわれています。
(寺宝「門侶交名牒」に、”明光・明空・了海・源海・了源・源誓”とあり「已上門弟六老僧」と記されているそうです)


葉の先が棘のようにとんがっていますが、これが年をとると丸くなるのだそうです。
だいたい40~50年で徐々に葉が変わっていき2~300年で丸い葉になるのだそうです。

人間もそうですよね。この柊から人間にもたとえて言われるようになったそうです。

孔子も年をとれば耳順となり、更に矩を越えなく無くなりますね。
私ももうすぐこの年になるのだと思うと気持ちは少し複雑です。




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このたてものによく似た建物が笠間の稲田草庵のあった「西念寺」にありました。
そちらでは「御幽楼」と名がついていました。こちらは良くわかりません。
書院と書かれているものもありました。

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彼岸花も綺麗です。

親鸞と茨城 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/09/22 20:41
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