羽黒神社(七面大明神)
一昨日行方市麻生にある日蓮宗「一乗寺」の紹介をしました。
天台宗の寺を3つ潰して、この日蓮宗の寺を1寺建てたと書かれていたので少し調べたくなって、近くを見ていたら、すぐ近くの小山の上に「羽黒神社」があり、これがこの寺の初祖である潮来の築地の妙光寺からやってきた日孝上人が建てたことが分かり昨日行ってきた。
一乗寺をすぐ手少し行った左手を少し入ったところに山に続く神社の入口があった。

<現地看板>
「羽黒神社
一乗寺の初祖・日孝上人は、元禄13年(1700)2月、法華の守護神を、ここ羽黒山上に祀り、七面大明神と称した。享保2年(1717)に拝殿が完成し、同4年に石段が寄進され、更に文政5年(1822)2月には、本殿並に拝殿が建てかえられた。現在の拝殿は昭和54年に新築されたものである。
大祭は10月9日で、大鳥居に毎年大しめ縄が奉納され、その耐久の度合いによって農作物の吉凶を占ったと伝えられている。祭神は吉祥天女である。 麻生町」

この神社は羽黒神社だが、最初の鳥居の上には「七面大明神」と掲げられていた。
神社の説明看板には日孝上人が法華の守護神としてこの七面大明神を祀ったとある。

七面大明神を調べると、
「七面大明神は七面天女ともいい、法華経の護法神、法華経を信仰する人々の守護神として全国各地で信仰されています。
そのお姿は、右に施無畏の鍵を、左には如意珠の玉を持ち、日蓮宗総本山、身延山久遠寺の裏鬼門にあたる七面山山頂に祀られています。」という日蓮宗による説明が出てきます。
昔、身延山の久遠寺に行ったことがありますが、長い石段をはあ、はあ 言って登ったことを思い出しました。
ここには100段近い石段がありますが、身延山に比べればはるかに楽です。

拝殿は昭和54年に新築されたものだとありました。

拝殿前に変わった表情の狛犬がいます。 阿形

吽形

この神社のある山が羽黒山であり、神社は羽黒神社となっている。

本殿には綺麗な彫刻が施されています。


本殿の裏に回ると台座にもこのような彫刻がありました。
この七面大明神は身延山では裏鬼門の七面山は久遠寺奥の院から見ると裏鬼門の南西方向にある。
しかしこの羽黒山は一乗寺から北西方向にあるので裏鬼門ではなさそうだ。
羽黒神社の祭神はこの七面大明神から「吉祥天女」だという。 何か不思議な気がする。
天台宗の寺を3つ潰して、この日蓮宗の寺を1寺建てたと書かれていたので少し調べたくなって、近くを見ていたら、すぐ近くの小山の上に「羽黒神社」があり、これがこの寺の初祖である潮来の築地の妙光寺からやってきた日孝上人が建てたことが分かり昨日行ってきた。
一乗寺をすぐ手少し行った左手を少し入ったところに山に続く神社の入口があった。

<現地看板>
「羽黒神社
一乗寺の初祖・日孝上人は、元禄13年(1700)2月、法華の守護神を、ここ羽黒山上に祀り、七面大明神と称した。享保2年(1717)に拝殿が完成し、同4年に石段が寄進され、更に文政5年(1822)2月には、本殿並に拝殿が建てかえられた。現在の拝殿は昭和54年に新築されたものである。
大祭は10月9日で、大鳥居に毎年大しめ縄が奉納され、その耐久の度合いによって農作物の吉凶を占ったと伝えられている。祭神は吉祥天女である。 麻生町」

この神社は羽黒神社だが、最初の鳥居の上には「七面大明神」と掲げられていた。
神社の説明看板には日孝上人が法華の守護神としてこの七面大明神を祀ったとある。

七面大明神を調べると、
「七面大明神は七面天女ともいい、法華経の護法神、法華経を信仰する人々の守護神として全国各地で信仰されています。
そのお姿は、右に施無畏の鍵を、左には如意珠の玉を持ち、日蓮宗総本山、身延山久遠寺の裏鬼門にあたる七面山山頂に祀られています。」という日蓮宗による説明が出てきます。
昔、身延山の久遠寺に行ったことがありますが、長い石段をはあ、はあ 言って登ったことを思い出しました。
ここには100段近い石段がありますが、身延山に比べればはるかに楽です。

拝殿は昭和54年に新築されたものだとありました。

拝殿前に変わった表情の狛犬がいます。 阿形

吽形

この神社のある山が羽黒山であり、神社は羽黒神社となっている。

本殿には綺麗な彫刻が施されています。


本殿の裏に回ると台座にもこのような彫刻がありました。
この七面大明神は身延山では裏鬼門の七面山は久遠寺奥の院から見ると裏鬼門の南西方向にある。
しかしこの羽黒山は一乗寺から北西方向にあるので裏鬼門ではなさそうだ。
羽黒神社の祭神はこの七面大明神から「吉祥天女」だという。 何か不思議な気がする。
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