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願入寺(如信の寺)(1)

 親鸞の常陸国に残した足跡をたどると、まだ訪れなければならない場所がたくさんあることに気がついた。
まず外せないのが大洗の願入寺と水戸市岸和田の報佛寺だろう。

まず行ってみなければ何もわからないので、先日この2つを回った。

最初に願入寺から紹介しよう。

場所は大洗のアクアワールド水族館の西側ですぐ近くにかんぽの宿がある。

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少し奥まった場所だが、こちらが入口の山門。
姿の良い山門だ。

門の手前に「大洗町有形文化財第1号」と書かれた碑が置かれています。

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門戸は両側に色鮮やかな彫刻が施されている。
真中には徳川の三つ葉葵の紋が鮮やかである。

今回の東日本大震災でこの願入寺も大きな被害を受けたようだ。
この門も修理がなされた。

その際に新たな事実が判明した。

願入寺山門は尾張徳川家の御廟所の表門として使われていたもので、これをここに移したものだそうだ。

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門の脇に寺の説明看板があるが「原始真宗 岩船山・大本山 願入寺」「親鸞聖人の血脈法脈相承乃聖蹟」「水戸黄門・歴代と格さんの史跡」と興味をそそりそうな言葉が並びます。

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寺の境内に入ると大きな鐘(鐘楼は震災で壊れたのか、建て直しが必要なようで、一打200円と書かれていました。

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この鐘のすぐ脇に「大網御坊願入寺?」と書かれた石碑がありました。

これはこの寺の歴史を調べるとわかります。

親鸞聖人は越後の流罪が解かれても都に帰らず常陸国に布教にやってきました。
最初は下妻の小島草庵、そして笠間の稲田草庵で北の方まで布教に歩きました。

親鸞が都に戻ってから息子の善鸞は更に北へ布教を進めていきます。

しかし、善鸞が教えることが次第に自分の教えから離れてきたことを知り、とうとう善鸞を破門してしまいます。

その後孫の如信(善鸞の子)が東国にやってきます。そして更に北の布教を進めていきました。
しかし都の親鸞が亡くなり、如信は正規継承者となりますが、都には帰らず茨城北部や福島県南部まで布教の範囲を拡大し、大網(現福島県石川郡古殿町)に草庵(大網奥之坊)を構えて布教につとめます。

如信は都に戻る途中で立ち寄った大子町の太子堂(現、法龍寺)(記事はこちら)で亡くなってしまいましたが、福島の大網草庵はその後弟子により「願入寺」となり、水戸光圀がここ大洗にこの願入寺を移して現在に続きます。

大網奥之坊は他にも福島でも継承する寺があるようですが、こちらを如信が残した寺とさせていただきます。

(明日に続きます。)

親鸞と茨城 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/09/29 21:13
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