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願入寺(如信の寺)(2)

 茨城県大洗にある願入寺の紹介をしています。

この寺は親鸞直系の寺として案内板に紹介されています。

親鸞が都に戻ってから、子供の善鸞と孫の如信が東国に派遣され、東国での布教につとめた。
しかし善鸞の教えが親鸞のお教えから離れてしまい、親鸞は善鸞を義絶した。

しかし、孫の如信が後を継ぎ更に北部(福島県)まで布教して回った。

その時に大網(現在の福島県石川郡古殿町)に建てた草庵がこの願入寺になった。

茨城県の大子町や美和地方にはこの如信の足跡や話がたくさん残されている。

美和(現常陸太田市)の裏山に「尺杖山」という名前の山があるが、ここにはこの如信上人がこの山の上で休んだ時に尺杖を忘れたのでこの名前がついたとの言い伝えがある。
低い山でも360度眺めが良い山だそうだ。

また、如信が親鸞の法要で都に戻る途中に立ち寄った大子町の太子堂(現法龍寺)で急な病で亡くなったことが知られている。

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この本殿は震災の影響か、そばに近寄れないように柵は張り巡らされていた。
この本堂は1675年には徳川光圀によって寄進された物か?


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こちらは親鸞像? まわりは草が茂っていた。

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こちらの開基堂で、色々な法物などが保存展示されている場所ですが、こちらも現在閉じられていました。

しかし、この開基堂は石岡の「照光寺」(府中藩の徳川家の菩提寺)の本堂が新築される時に、この260年ほど前に造られた元の本堂を移築したもので、天狗党の刀傷なども残されています。

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水戸光圀お手植え?  

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境内の少し裏側に磯節の父と言われる渡辺竹楽房翁の銅像がありました。

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裏の広場の方に大きな銀杏の木。これも光圀が植えたものだと言う。

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この願入寺をこの大洗に移し、七堂伽藍を寄進したりして、これを保護したのは水戸黄門(光圀公)だそうだ。

今日は時間がなくなってしまいましたのでここまでとします。


親鸞と茨城 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/09/30 22:56
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