願入寺(如信の寺)(3)

 ここ願入寺は那珂川と涸沼川が合流する地点の高台にあります。

かつてこの辺りには祝町と呼ばれ遊郭が置かれていました。
また河岸には渡し船があり、この経営権を願入寺が持っていたと言われています。

この場所は眺めもよく「水戸八景」の一つに選ばれ「巌船夕照(いわふねのゆうしょう)」と呼ばれています。
  「筑波山あなたはくれて岩船に 日影ぞ残る岸のもみじ葉 」

この願入寺の裏手の広場には水戸光圀の植えたと言われる大きな銀杏の木が聳えますが、その先の林の中に2つの石碑が草に覆われたようにありました。

最初はこれが何なのかがわからずいろいろ調べておりました。
少しわかったので載せることにしました。

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この石碑には「者楽亭跡」と彫られています。

この者楽亭は水戸光圀がこの那珂湊や祝町に遊郭を設置し、この場所が特に気にいって「隠居の郭(さと)」と呼んでいたようです。この者楽亭は天狗党の乱の時に焼けてしまったそうです。

昔は水戸から江戸までの荷物はこの那珂川から涸沼川を登って船で運んでいました。
(涸沼の先は陸路を鉾田や小川まで陸路、その先は北浦や霞ケ浦を船で運びます)

多くの船が行き来していたのだろうと思います。

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その隣にある石碑。何と書かれているかよく読むことができない。
タイトルを良く見ると「魚山遺響」と書かれているようです。

そうであれば、水戸黄門でおなじみの助さん・格さんの直筆による書を石碑に起こしたものかもしれない。
実物の書は開基堂に展示されていると言うが、今は閉まっていて展示はお預けのようだ。

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願入寺の山門を入ったところのすぐ右側にお堂がありました。
堂にはおもちゃの刀が奉納されています。
説明が書かれています。

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万助堂:万助さんという人を祀ったものらしい。

地元に住んで、商いをしていた万助さんが仇討で殺されてしまった。
地元の子供たちに武術も教えていた信望も篤い人だったが、仇討状をもった相手に敵として狙われ殺されて。
その時刀を持っていなかったらしい。
そこで刀持っていればこんなみじめに殺されなかっただろうと、刀をここに奉納すれば願いがかなうと言う話が伝わった。

何故? すこし寺とは異質な気がするが・・・・・
これも「祝町」という場所がこのようなものになったものなのか。
普通なら仇討本懐をとげ立派だと相手側がほめられそうなものだが。


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鉄骨のやぐらを組んだだけの大きな鐘楼「やすらぎの鐘」。
東日本で一番大きな鐘だという。(重さ12トン半、口径2.1m)

この鐘も戦時中に大砲の玉となった。それを全国行脚で集めた浄財を基に、京都「岩澤梵鐘」により復元したとのこと。
岩澤梵鐘は岩澤の梵鐘製作会社です。

一打300円だったかな・・・・。

この近くに「天妃神社」があったが立ち寄らなかった。行っておけばよかった。
今は「弟橘比賣神社」となっている。
これについては小川の天妃尊で調べたことがあった。(記事はこちら


親鸞と茨城 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/10/02 23:00
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