報佛寺(唯円の寺)(2)
水戸市河和田にある報佛寺は親鸞の直弟子「唯円」が建てた寺です。
唯円は「歎異抄」を書いた人物とみなされています。
『善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。』
このフレーズも考え出すといろいろに解釈されそうですが、中学校の頃に反語表現の例として習った記憶があります。

本堂前にあるしだれ桜。
また春に訪れてみなければならない。

写真右側がしだれ桜で、左が本堂。

その真中に「唯円大徳開基」と書かれた石碑が置かれています。
建保6年(1218)榎本というところに ある心字池のほとりに(現在地の少し南側の国道50号近く)道場が建てられた。
その後竹ノ内に移り寺は「泉渓寺」と称した。
元禄3年(1690)に水戸光圀が現在地に移し、荒れていた寺を再建した。




本堂脇の隅に「報佛寺の十字名号」と書かれた石碑が置かれている。

この説明には、唯円が親鸞の弟子になった経緯が書かれている。
河和田の平次郎の女房は親鸞聖人に書いていただいた十字名号(帰命尽十方無礙光如来)の紙を熱心に拝んでいた。
他に男でもできたと誤解した平次郎は女房を刀で斬りつけ殺し、土に埋めてしまった。
しかし、斬られたはずの女房は元気で、十字名号が袈裟がけに斬られていた。
平次郎はその後改心して親鸞の弟子となり「唯円」の名をもらった。
この親鸞が書いたとされる「十字名号」は今もこの寺に残されており寺宝となっています。
さて、この話に似た話が石岡にもあります。
「聖跡御経塚」と市内本浄寺の寺宝として伝わる掛け軸「袈裟懸け名号」です。
(記事は → こちら)
唯円は「歎異抄」を書いた人物とみなされています。
『善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。』
このフレーズも考え出すといろいろに解釈されそうですが、中学校の頃に反語表現の例として習った記憶があります。

本堂前にあるしだれ桜。
また春に訪れてみなければならない。

写真右側がしだれ桜で、左が本堂。

その真中に「唯円大徳開基」と書かれた石碑が置かれています。
建保6年(1218)榎本というところに ある心字池のほとりに(現在地の少し南側の国道50号近く)道場が建てられた。
その後竹ノ内に移り寺は「泉渓寺」と称した。
元禄3年(1690)に水戸光圀が現在地に移し、荒れていた寺を再建した。




本堂脇の隅に「報佛寺の十字名号」と書かれた石碑が置かれている。

この説明には、唯円が親鸞の弟子になった経緯が書かれている。
河和田の平次郎の女房は親鸞聖人に書いていただいた十字名号(帰命尽十方無礙光如来)の紙を熱心に拝んでいた。
他に男でもできたと誤解した平次郎は女房を刀で斬りつけ殺し、土に埋めてしまった。
しかし、斬られたはずの女房は元気で、十字名号が袈裟がけに斬られていた。
平次郎はその後改心して親鸞の弟子となり「唯円」の名をもらった。
この親鸞が書いたとされる「十字名号」は今もこの寺に残されており寺宝となっています。
さて、この話に似た話が石岡にもあります。
「聖跡御経塚」と市内本浄寺の寺宝として伝わる掛け軸「袈裟懸け名号」です。
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